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金栗四三の伝記『走れ二十五万キロ』

近年、スポーツ中継と映画くらいしかテレビを見ない私。金栗四三が主人公だと聞き、大河ドラマ『いだてん』は食事しながらいい加減に眺めています。東京オリンピック招致に関しては影の部分が書かれないでしょうから、田畑政治が出はじめたら見るのを辞める気がしますけど。

後藤正治『マラソンランナー』(文春新書)は本邦マラソン黎明期から選んだ八人のランナーにスポットを当てていまして、当然のことながらトップで扱われるのが金栗四三なんです。

朝鮮占領時代に日本代表として1936ベルリンオリンピックに出場し金メダルを獲った朝鮮人・孫基禎、戦後初めて国際マラソン(ボストンマラソン)を制した広島出身ランナー田中茂樹のこともぜひ知っていただきたい。孫も田中も足に履いていたのは「金栗足袋」でした。

後藤は、参考にした金栗の伝記について下記のように書いています。

 熊本にあるラジオ局、エフエム中九州社長の長谷川孝道は、金栗の足跡をもっともよく知る人であろう。熊本日日新聞の記者時代、金栗の自宅に通い詰め、評伝を連載した。百三十回に及んだ連載は『走れ25万キロ──マラソンの父 金栗四三伝』(講談社)という本となって残っている。本章の記述の多くも長谷川の話と評伝に拠っている。
 長谷川は熊本・済々黌高校─早稲田大学時代、陸上の短距離とジャンプの選手だった。新聞社で運動部に所属したのはそんなキャリアが買われてのことだったろう。一九六〇(昭和三十五)年、熊本で国体が開かれることが決まった。それに合わせた大型企画ということではじまったページであったが、連載は随分とのびた。記事が好評であったこと、それに金栗への取材が興味津々、おもしろかったからである。
 当時、長谷川は二十代の若手記者、金栗は六十代半ばであった。長谷川が玉名の屋敷に行くたびに、おう、懲りずにまた来たか、といわんばかりの微笑を浮かべて若い記者を迎えた。その笑顔が、まず浮かぶ金栗像として長谷川にいまも残っている──。

現在、『走れ二十五万キロ マラソンの父 金栗四三伝 復刻版(第2版)』として刊行されているのが、多分それです。関連本はいろいろ出ていますが、すべてこの本を元にしているはず。少年時代のことから、細かすぎるくらいエピソードが満載です。大河ドラマの下敷きにもなっているのは明らかです。

と、ひとまず紹介。

ドラマ『いだてん』については、また。

マラソンランナー (文春新書)

マラソンランナー (文春新書)

 
走れ二十五万キロ マラソンの父 金栗四三伝 復刻版(第2版)

走れ二十五万キロ マラソンの父 金栗四三伝 復刻版(第2版)