狩猟採集民のように走ろう!

狩猟採集民について学びながら、現代社会や人間について考えるブログ

間永次郎『ガンディーの真実』2/2

ロンドンで英国法定弁護士資格を取得したガンディーは、南アフリカにわたり、インド人移民が多かった南アフリカに渡ります。

1880年代、彼の地で、ガンディーは理不尽な人種差別を体験します。チケットを持って一等車に乗っていたのに、白人乗客な鉄道員が乗り込んできて、三等車に移るよう命じたのです。チケットを示してそれを拒んだガンディーは、荷物もろともマリッツバーグ駅に放り出され、寒さをこえらながら待合室で一夜を明かします。

翌朝、ガンディーが乗合馬車に乗ったところ、態度が生意気だと白人乗客に暴力をふるわれ、走行中の馬車から落とされそうになります。真鍮の手すりにしがみついたガンディーを、白人乗客は容赦なく殴りましたが、周囲の白人が暴行を止めました。この不条理な差別体験をインド人の同僚に話しますと──

これを聞いて彼らが驚いたのは、ガンディーが語った人種差別体験ではなく、ガンディーが人種差別体験を問題視していることだった。[……]まさに、ガンディーを人種差別体験以上に驚かせたのは、明らかに不正に思える社会的慣行を、被差別者たちであるインド人地震が自明のものとして甘受している姿だった。(ゴシック部分は原文では傍点)

ガンディーは差別を受ける者と差別をする者の二項対立で物事を考えたのではなく、より俯瞰的な観点から、差別をする者さえもが野蛮な文明の被害者であると見なしたのであった。差別を根絶するために必要なことは、加害者を糾弾することだけではなく、システムを変革することだった。

[ガンディー]は、社会で最も巨大な「暴力」を可能ならしめるものとは、専制君主や暴漢やテロリストではなく、社会の大多数の人々の何気ない不正に対する同意であると考えるにいたった。個人の無思想が、社会全体の人種差別の淵源であると見たガンディーは、その不正に対する絶対的な不服従・非協力を誓った。生涯のある時点から、死よりも真実に忠実であろうと決心したのだった。

翻って、現代日本。安倍政権以降の数々の不正や、いま取り沙汰されている裏金問題や事実上の増税、防衛費倍増などなどに関して、《個人の無思想》が後押ししているのではありませんか? お〜い、みんな声を上げていますか?

わたしはみなさんにそう問いたいのです。

間永次郎『ガンディーの真実』1/2

あたくしは、反権力について考えています。ガンディーの非暴力不服従とはどんなものだったか、知りたくなりまして、ちょうど書店で『ガンディーの真実 非暴力思想とは何か』というタイトルの本を見つけたのでした。

まず、ガンディー(1869〜1948)の非暴力思想は、必ずしも「絶対に手を出さない」という意味ではなさそうです。ガンディーは、1920年、こんなことを話しているそうです。

もし臆病か暴力のどちらかしか選択肢がないならば、私は疑いなく暴力を選ぶように助言するでしょう。[……]私はインドが臆病な姿になって不名誉を被るのを大人しく見るぐらいならば、名誉を守るために武器を取るように勧めます。

《ガンディーは生涯の中で、幾度となく、自らの「非暴力」の意味を無抵抗(厳密には「受動的抵抗(passive resistance)」)と混同されそうになった時、非暴力は「臆病」とは異なることをはっきりと断言した。加えて、重要なポイントは、非暴力とはあらゆる力の否定とも異なることなるということである。》

《さらに、私たちは非暴力という思想を、専ら政治的なものであると考えがちである。ガンディーの非暴力は歴史書の中でも、ほとんどの場合、反英独立運動の文脈でのみ言及される。しかしながら、ガンディー自身は、非暴力を食・衣服・性・宗教といった一般的に人々の私的なものとされる関心事にも繫がる主題として語っていた。》

本書では、ガンディーの「サッティヤーグラハ」(真実にしがみつくこと)すなわち《自らが「真実」だと思う信念に決して妥協を許さないという断固たる意志・実践》について考え抜きました。

たとえば、「食」について。ガンディーのカーストはラクト・ヴェジタリアン(乳製品は摂取する菜食主義者)でしたか、動物はもちろん植物を食べることも暴力だと考えたガンディーは、南アフリカで活動した21年間、果実ばかり食べたといいます。味覚があるから旨い物を食べたくなるのだと考えて調味料も断ちましたが、のちに塩だけは身体のために必要だと考えたようです。

インド帰国後は、南アフリカ時代のようにフルーツが豊富ではなく、菜食主義者になります。ただし、これは食事に限らないのですが、ガンディーの考えは必ず遂行されたわけではありません。搾乳時に乳牛は痛みを感じると知り拒否したミルクを、ガンディーは結局やめられなかったそうです。

ガンディーに影響を与えたのはヘンリー・デイヴィッド・ソローやレフ・トルストイで、トルストイとは手紙を交わしていたんだとか。全然知らなかった。

読めばわかるとおり、ガンディーの思想には綻びもあり(エッチはダメだなんて、ガンディーさん、あんまりよ)、また、家族は彼のことを快く思っていなかったようでもあります。著者はガンディーの抵抗を《批判的に継承していくこと》が大切だと書きます。公民権運動の指導者マルティン・ルター・キング、『スモール・イズ・ビューティフル』のE・F・シューマッハー、政治理論家ジーン・シャープらが、まさしくガンディーの思想的批判によって「ガンディー主義」を継承しているのだとありました。

ちなみに、ガンディーは1日10〜12マイル(16〜19km)のウォーキングを日課にしていたそうです。1930年3月12日〜4月5日にかけて、イギリス政府の塩税に反対する有名な「塩の行進」が行われます。241マイル(約388km)を徒歩で行進する、集団的不服従の運動でした。ガンジーは当時60歳でしたが、行進は子どもの遊びだったと述懐しているらしい。

イリイチ『シャドウ・ワーク』

中学のとき日本史の先生がこう言いました。「古来、男は外で仕事をして稼いでくる。女はセックスでお返しをする」──そのときは言葉の成否を深く考えず、セックスという言葉を聞くだけで下半身をもぞもぞさせていた私ですが、今思うに、まるっきり資本主義の考え方なのでした。

イヴァン・イリイチ『シャドウ・ワーク』(玉野井芳郎・栗原彬訳、岩波文庫。原著は1981刊)が文庫化されていたので、早速読みました。

シャドウ・ワーク(影の仕事)とは、自立・自存の生活を奪い取り、財とサーヴィスの生産を補足する、支払いがない労役。女性に押しつけられた家事、会社でのお茶くみ、通勤時間、教師や看護師の厖大な書類づくり、経済成長に資する「自己啓発」などが含まれます。シャドウ・ワークの領域に囲いこまれた人々は逃れようがなく、時間、労苦、尊厳を奪われます。

私たちは産業社会に囲いこまれてしまって、ヴァナキュラー[根づいていること、土着]な価値を剥奪されました。イリイチは産業主義社会を批判し、人間のコンヴィヴィアリティ(自立共生的)な暮らしを取り戻そうと主張しています。

冒頭の中学教師の言葉に対しては、この引用をもって反論しましょう。

 〈シャドウ・ワーク〉と賃労働とはともに連れだって歴史の舞台に登場した。(略)〈シャドウ・ワーク〉への繋縛は、なによりも性[セックス]で結ばれた経済的なつがいをとおして、はじめて達成された。賃金を稼ぐ者とそれに依存する者より構成される十九世紀の市民的家庭が、生活の自立・自存を中心とする生産=消費の場としての家にとってかわった。

賃労働する男と、家事、育児、教育などシャドウ・ワークを請け負う子専業主婦のセットは、わりと最近、産業主義社会の成立とともに生まれたものだと、人類学の本を読めばわかるはずです。さらに、現代では《資本家も人民委員[コミッサール]も、ともに賃労働よりも〈シャドウ・ワーク〉からより大きい利益を引き出す》。要は、資本主義は女からより搾取しているのです。

本書で提示される、「ヴァナキュラーな価値」という概念はなかなか興味深い。産業主義以前、人間は自立・自存していて、固有の言葉や文化を持っていて、シャドウ・ワークなんてなかったのです。

たとえば、帝国主義が発明した「母語=つくられた標準語」は、征服した未開人たちにも教えこまれます。独自の(ヴァナキュラーな)言葉や生活様式は、徐々になくなり、自立・自存だった社会が揺らいでいきます。産業社会の下地が出来上がるのです。日本も、明治以降は標準語を作り、教えることになりました。莫大なコストをかけて学校で言葉を教えはじめたのです。アイヌや沖縄はじめ地方の言葉や文化はどんどん消えつつあります。

今や資本主義は暴走しています。

生態系を破壊し、多様性を拝し、富める奴らの欲望が肥大する一方の社会に、私はなんの希望も抱いていません。経済成長の名のもとで犠牲になっている人たち──イリイチのいう、隔離体制の犠牲者たち、すなわち女性、患者、黒人、無学者、低開発国の人々、中毒者、敗残者、プロレタリアートを解放し、ヴァナキュラーな価値や自立・自存を取り戻さなきゃなりません。

『奴隷のしつけ方』

少し前に、マルクス・シドニウス・ファルクス著/ジェリー・トナー解説『奴隷のしつけ方』(橘明美・訳、ちくま文庫)を読みました。

私は、階級のない狩猟採集社会を知ってから、人間がどうして主従関係をつくるのか気になってしかたありません。タイトルに「奴隷」とあらば、つい手にとってしまうのです。

マルクス・シドニウス・ファルクスというのは古代ローマ帝国の架空の人物で、11章にわたる奴隷のトリセツ──奴隷の買い方、使い方、罰し方など──は、アメリカの古典学研究者ジェリー・トナーが古い文献を読んで書いています。念のため書きますが、本書に書かれる奴隷は、大航海前なので、アフリカ系ではありません。戦勝国が、負けた国から奴隷を連れてくるのです。

スパルタクスが首謀者となった反乱軍を生まないためにアメとムチを使い分けていかねばならないので、ご主人さまも大変らしい。皮肉で書きますが、21世紀の資本主義が資本家と社奴によって成立しているのだとすれば、組織のトップはこの本が参考になるかもしれません。[裏金づくりに余念のない自民党幹部は、この手の本を読んで官僚や検察を支配しているのかもしれ……ウッ………………バタン]

奴隷はいつまでも奴隷とは決まってなくて、自由になる解放奴隷もいたそうです。時代は少し違うんですが)、ストア派の哲学者エピクテトスは元奴隷だったと聞きます。解放奴隷によって自由人になったのだと合点がゆきました。

いちばん面白かったのは、政治学者・栗原康の解説です。全部引き写したいところですが、私にも節度という観念はあります。一部だけ。

はじめからカネと権力をもっている主人たちに真正面から攻撃をしかけても、みな殺しにされてしまう。だったら、非対称的な闘いをしかけるしかない。横領、略奪、サボリ、トンズラ。さらにさらにとフォークロアで奴隷を離脱。不可視になれ。この身体に染みついた奴隷の名をうち捨てろ。なんどでも問いたい。きみの名は? スパルタクス! スパルタクス! スパルタクス! スパルタクス! スパルタクス! スパルタクス! われわれはみなスパルタクスだ。権力者どもにおもいしらせろ。奴隷の数だけ敵がいる。

 

川田順造『「悲しき熱帯」の記憶』

ちゃんとメモしておかないといけないなあ。読んだことを忘れてた!

川田順造『「悲しき熱帯」の記憶 レヴィ=ストロースから50年』を読んだのは、昨年末らしい。著者は人類学者で、レヴィ=ストロースの紹介者でもあります。

文化人類学者にして構造主義の祖レヴィ=ストロースが『悲しき熱帯』で紹介したブラジルのナンビクワラ族がどうなっているか──。川田氏は1984年に彼らを訪ねました。同時に、南米を訪ねたことで見えてきた地球規模の歴史を人類学者の視点で分析しています。

ちなみに、ナンビクワラは雨季の間は焼畑もおこなう狩猟採集民と考えられているそうです。

 ナンビクワラの、物欲にとらわれない淡泊さ、屈折ししたところのない感情の動き、人間関係のざっくばらんさには、その後もいろいろな局面で私は感銘を受けた。男女のセックスも開放的で、男の同性愛もみとめられていることは、レヴィ=ストロースの報告にもある。西アフリカ農耕民の、それも王さまなどがいて入り組んだ組織をもち、人間の感情も屈折に屈折を重ね、儀礼や婉曲な表現にみちみちている社会と長くつきあってきた私にとっては、ナンビクワラの単純素直な感情生活は、新鮮な衝撃であった。(72ページ)

おそらく、川田氏も狩猟採集民におおよそ共通している生活様式を認めています。《きまった挨拶》がない。《日常生活での「きまり」》もない。《(略)生活にきまりというものがないから、子どものしつけもやかましくなさそう》である。《月や年の観念はなく、》《数は三までであとは「たくさん」になるので、四年以上の年は数えられない。もちろんいま生きている大人の年齢は一切わからない。》など。

時間の観念がない彼らは《脱クロノス人間》だと著者は言い、「年寄りじみた人間」が見あたらないこと、年長者が率先して働いていることに驚いています。

 こういう社会を見ると、体力的に衰弱した老人が、経験と分別と金力で政治の実権を握っているわれわれの国家が、情報や技術の麵では若者追い上げ型社会に見えても、やはり老人支配(ジェロントクラシー)なのだということを、改めて思い出させられる。

自民党・二階俊博元幹事長は、驚くなかれ、5年間で50億円もの政策活動費をもらったそうです。何に使ったんでしょうか。──おっと、脱線しました。

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本書の話題や考察はナンビクワラに限らないのですが、長くなるので触れられません。

文庫版あとがき(2010年)には、レヴィ=ストロースの埋葬について書かれています。

2009年10月30日、レヴィ=ストロースはパリの自宅で亡くなります。享年100歳。遺体は別邸のあるリニュロール村に運ばれ、11月3日にひそかに埋葬されました。懇意にしていた村長は、村民に「レヴィ=ストロースが埋葬されることは口外しないでほしい」と協力を仰ぎ、村民は秘密を守りました。同日午後、新聞社にレヴィ=ストロースの死去を通知。翌4日、各紙は一斉に特集を組みます。

葬儀を終えてから死を公表するのは、生前、レヴィ=ストロースが夫人に伝えていたことでした。なぜ、こんな手順を踏んだのでしょうか……。

前年、100歳の誕生日を迎えたとき、レヴィ=ストロースが何度も断ったにもかかわらずサルコジ大統領が勝手に自宅に押しかけ、写真を新聞に掲載しました。サルコジは文化に疎い自分のイメージを、レヴィ=ストロースを利用して高めようとしたらしい。

死んだあと政治利用されることを危惧したレヴィ=ストロースは国葬を回避したのでした。サルコジは不満だったらしく追悼の談話さえ出さず、大統領府からみじかいコメントが発表されただけでした。

──見事な死に方ではありませんか。

鶴見済『0円で生きる』

なにかの本で紹介されていた鶴見済『0円で生きる』(新潮社)を読みました。サブタイトルは、「小さくても豊かな経済の作り方」です。

著者はなるべく金を使わない生活を実践している人なんだろうか……ただの実践者にしては、経済や人類学の専門書などの引用も多くてよく勉強しているなと読み進めているうち、思い出しました。『完全自殺マニュアル』を書いた、東大卒のライターとのこと。本のどこにもプロフィールが書かれていないのです。

前著『脱資本主義宣言』の実践編がこの本らしい。シェア、贈与、相互扶助などの方法が具体的に書かれています。知らないことも多く、勉強になりました。 

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贈与のわずらわしさにも触れられていました。「出産祝いをもらったので半返ししなきゃ」みたいなつき合いはたしかに面倒くさい。

ただ、太古の昔より人間社会にギフトがあったと書くのは少し違うんじゃなかろうか。トロブリアンド諸島のクラや、インディアンのポトラッチは贈与として有名ですが、所有の概念が生まれた首長制社会で行われるものです。

私が読んでいる狩猟採集社会では贈与に対する返済義務はありません。なんでもみんなで分配し、「誰がより多くあげた」という計算をしないのです。そもそも、モノや数えたり量を量る道具(数字)がない。もらったほうは「ありがとう」とも言いません。

「出してない人から年賀状が届いちゃった」というだけで気持ちに負担が生じる現代より、私はそちらのほうがいいなあ。

ケイレブ・エヴェレット『数の発明』

最近読んだ本から。

ケイレブ・エヴェレット『数の発明』(みすず書房)を読了しました。著者は、『ピダハン』を書いたダニエル・エヴェレットの息子で、父親同様、人類学者・言語学者です。幼いころは一家でアマゾンの狩猟採集民ピダハン族と暮らしていました。

本書では数に関するさまざまな話題を紹介しています。たとえば、クレバー・ハンス(計算ができると有名になったドイツの馬→Wikipedia賢馬ハンス)の話が紹介されるなど、雑学本ふうな楽しみ方もできます。

著者の主眼は、数の誕生は手の指と関係があること、数字は文化や言語によって違いがでること、かな。世界には10進法のほかに、6進法、12進法、20進法などがあるそうです。12進法は親指を握ってグーをつくると4本の指の関節が12に分けられるから、らしい。もう一方の5本の手と12の関節を組み合わせると60進法になります。 20進法は両手両足の指の数でしょう。栽培するヤムイモが一株6個ずつだから6進法を採用した農耕民もあります。先進国がすべて10進法とも限らないそうで、フランス語は20進法が「ほの見える」らしい。たとえば、99は、quatre-vingt-dix-neuf(40×20+10+9)と表され、20進法と10進法がまざっています。

おっと、狩猟採集民の話を書かねば。

大脳の頭頂間溝(IPS)は数処理をする場所で、どうやら、「1、2、3」までは生まれつき処理できるそうです。赤ちゃんも簡単な足し算・引き算(1+1、2-1など)ができると、学者の間ではほぼ認められているんだとか。なんと、生後平均49時間の乳児を調査したところ、すでに「ざっくりした数(4と12のどちらが大きいか、など)」は理解したといいます。

ピダハンはじめ多くの狩猟採集民は「3」までしか数詞がありません。カバー写真の、骨に刻まれた線は、数万年前、月の満ち欠けを記録したものと思われますが、数字で数えていたわけではないようです。

ほぼ一万年前、農耕が始まりカレンダーが必要になりしました。書き文字はメソポタミアと中央アメリカ、中国、エジプトで独自に発生し発展、もっとも古い書き文字は、おおむね数に関するものだったそうです。私は、収税のために発達したんじゃないかと邪推しています。数字なんてなかったら、住所なんてなかったら、国なんてものにカネを収奪されなくてすむのです(いかん、狩猟採集社会のことを学んでいると、どうしてもアナーキズムに染まってしまう)。

私が小学生のころ、「どこどこの未開社会では、3までしか数えられないんだって。1、2、3、いっぱい」と誰かが言い、みんなで未開社会の人々をバカにしました。しかし、今や私は、文明を知らない社会が現代社会より劣ってないことを知っています。著者も、さすが狩猟採集民と育っただけあり、西洋中心主義にきちんと異を唱えていました。立派な学者に育って、おじさんうれしいぞ。

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【余談】数は、文化と言語の習慣とともにあるが、時間の流れも同じだという話。

「過去」は、あなたの前にあるか、後ろにあるか? 多くの人は、過去は背後にあると考えるでしょう。「僕の前に道はない/僕の後ろに道は出来る」という詩もあれば、「過去を振り返る」という表現もあります。ところが、南米インディオのアイマラ族など、いくつかの言語では、過去が話者の身体の前にあるそうです。

では、左右と時間について。時間は右から流れるか左から流れるか? たいていの文化で、時間は左から流れます。カレンダー、YouTubeの再生バーなどを見よ(日本の縦書き年表は右からだけどね)。たとえば、バナナの皮を剝いて食べている様子を連続写真にして並べさせると、たいていの人は、最初の写真を左に置きます。しかし、オーストラリアのターヨーレ族の人々は、連続写真を太陽の動きにしたがって東から西に向けて並べるそうです。つまり、真南に向いている場合、最初の一枚を右から置くことになります。