狩猟採集民のように走ろう!

狩猟採集民について学びながら、現代社会や人間について考えるブログ

月曜日も走らず、文化放送の浜祭へ。

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午前中に野暮用があり、その足で浜松町に向かいました。

私はテレビはスポーツや映画をときどき観る程度です。そのぶんラジオばかり聴いています。いまのラジオライフは……と、いろいろ番組名を挙げていたのですが、長くなったので10行削除。

浜松町駅に降りた目的は、文化放送が毎年やっている「浜祭」を覗くことでした。毎年、ラジオで聴きながら「行けばよかったな」と感じていたのです。

「大竹まことゴールデンラジオ」が始まりました。増上寺本殿に向かう階段の踊り場(?)につくられたステージに、大竹まことはじめ多くのレギュラーが出てきます。お客さんの数がものすごい。

ラジオって朝から晩から明け方まで生放送が多いんですよ。オールナイトニッポンを聴いていた学生時代を思い出してみましょう。家族が寝静まった深夜に、パーソナリティと自分と他のリスナーが時間を共有していました。ラジオは仮想コミュニティを形成するのです。メールや Twitter のおかげで、ますます共時性が強化されました。時間をともにするラジオ番組のパーソナリティに必要なのはなにか? 「共感」です。リスナーが自分の気持ちをわかってくれると思える番組が生き残ります。

世界はいま新自由主義です。富める者がますます富み、貧する者がすりこぎになるまで(ヘイユー!)しぼりとられる社会になりました。日本も、労働条件、教育・受験システムや、社会保障が改悪され、逆進性の高い消費税がアップされます。儲けようとする奴らが勝手にルールを決めるのです。搾取されるほうの気持ちに少しでも共感しているなら、そんなことはできないはずなのに。

友人の写真展にいく用があったので、30分ほど生中継でオープニングトークを聴いた(見た)あと、残りはradikoのタイムフリーで聴くことにしました。伊東四朗登場のあと、少し屋台のあたりをブラブラししていたら(お寺なのにお酒も売っていたのだ)大竹氏と芸人数名が会場の様子をレポートするため、こちらに歩いてきました。

ひとしきり中継コーナーが終了すると、大竹氏はステージに戻るため人垣を縫って歩きます。私もひとこと声をかけようとしたのですが、隣にいた中年男性が大竹氏の手を握ると「うち、水に浸かっちゃったよ」と訴えて一緒に歩きます。大竹氏は「ええっ、大変じゃない?」と答えて、男性と会話しながら去りました。

CM中とはいえ、リスナーと話し続けていたから、周囲のスタッフも困惑したでしょう。

夜、タイムフリーで番組を聴きました。「さっき台風被害に遭った川崎の人がいてね」と、大竹まことはその男性の話に二度言及しました。

もう一度言いますが、ネオリベ社会に欠けているのは共感です。ギスギスした世の中で相手の身になって考える人が少ない。弱っている人を「自己責任だ」と捨て去るのです。誰だって運が悪いと弱者になってしまうのに。共感する人・大竹まことは、共感するメディア・ラジオの人なのだと感じ入りました。これからも頑張ってください。