狩猟採集民のように走ろう!

狩猟採集民について学びながら、現代社会や人間について考えるブログ

『贈与論』

贈与論 (ちくま学芸文庫)

贈与論 (ちくま学芸文庫)

 

マルセル・モース『贈与論』(ちくま学芸文庫)を読みました。人類学の本によく引用されるんです。1925年に公刊されたとか。

ジャン=ジャック・ルソー『人間不平等起源論』同様、モースもまた古い社会を馬鹿にせず、参考すべき社会だと見なしているのでした。

モースはまず、世界各地のアルカイック(古拙)な社会のレポートを見ます。メラネシア、ポリネシア、北米インディアンなどです。文化人類学的にいえば、私の好きなプリミティブな狩猟採集民ではなく、園耕や交易をして豊かになり、大きな集団になっている首長制社会です。

そんな社会には、「贈与する義務」「受け取る義務」「返礼する義務」が共通して見られるといいます。それらの義務を怠れば、モノにともなう霊性に呪われる、といった考えがあるため贈らざるをえないのです。贈与や給付を「全体的給付体系」と呼んでいます。これは集団同士の互酬ルールだけではありません。価値あるものを壊すことで神に返礼を求めることもあるのです。持てる者はより気前よく、与えなければなりません。

今の日本にも、ご祝儀や香典のしきたりがあります。しかし金額や返礼が法律で規定されているわけではありません。じつは私は、そういうのがあまり好きではないのです。お礼のつもりで何かを贈ると、同じ金額くらいのものがお中元で贈られてきて、しかたなく翌年また同じようなものを贈るとあちらからも返ってきて……みたいなやつです。だから、モースが紹介する社会は、窮屈で仕方ないと思いながら読んでいました。

モースが集めている事例以前の、財産をあまり持たない狩猟採集社会ではどうでしょうか。人類学者・奥野克己によれば、ボルネオ島のプナン族でもっとも尊敬されるのは、自分の財産をすべて分け与えるビッグ・マン(とはいえ、なんの権限もない)だといいます。ビッグ・マンがひとたび個人所有をはじめると、グループのメンバーは離れていき、別の集団に入るそうです。

獲物や食事を均等配分することもよく知られていますが、食事を得るのは個々人の実力はもちろん運不運にも左右されますから、貸し借りを計算していたら共同生活がうまく機能しません。損得勘定抜きの利他的経済という面では『贈与論』に書かれた社会と共通しているようです。人間が本来利己的な生き物だとしても、利他的な社会システムでないと集団を持続できなかったのでしょう。

モースが参考にした世界のアルカイックな社会までは利他的な社会システムの精神が継承されているように感じます。動産・不動産の所有が始まりましたが、それを占有することを禁忌とすることで、集団同士の均衡を図ろうというふうに。

ポトラッチ(貴重なものを贈ったり破壊したりする儀式)を行う集団では、《与えることが示すのは、それを行う者が優越しており、より上位でより高い権威者(majister)であるということである。つまり、受け取って何のお返しもしないこと、もしくは受け取ったよりも多くのお返しをしないことが示すのは、従属することであり、被保護者や召使いになることであり、地位が低くなること、より下の方に落ちることなのである(従僕 minister)。》(276頁)

日本の冠婚葬祭でのやりとりのように、ものを贈ったり返したり、招待したりされたりという互酬的な道徳は世界中に残っています。これを社会制度に敷衍しよう、とモースは書いています。

利益という言葉が生まれたのは最近で、商業主義、合理主義が勝利したのは17-18世紀だとあります。つまり我々の社会に蔓延している、「稼ぐヤツが偉い」「負け組は自己責任」「利権を独り占めにしている人に取り入っておこぼれをもらいたい」みたいな拝金主義はつい最近の、じつは呪われるべき考えなのです。

マルセル・モースは現代社会もアルカイックな人間社会を参考にせよと書いています。社会福祉や再配分を指しているのは間違いありません。以下の引用は290頁から。クランとは氏族のことです。

(略)諸社会は、社会やその従属集団や成員が、どれだけ互いの関係を安定させ、与え、受け取り、お返しすることができたかに応じて発展した。交際するためには、まず槍から手を離さなければならない。そうして初めて、クランとクランのあいだだけでなく、部族と部族、民族と民族、そしてとりわけ個人と個人にあいだにおいてでも、財と人との交換に成功したのである。その後になってようやく、人々は互いに利益を生み出し、共に満足し、武器に頼らなくてもそれらを守ることができるようになった。こうして、クランや部族や民族は──だから、文明化されていると言われているわれわれの社会においても、近い将来、諸階級や諸国民や諸個人は同じようにできるようにならなければならない──虐殺し合うことなく対抗し、互いに犠牲になることなく与え合うことができたのである。これこそが彼らの知恵と連帯の永遠の秘密の一つである。

現代日本は、新自由主義を謳い、稼ぐ人たちが自分たちの稼げるシステムを作ってより膨れ上がっています。社会福祉を縮小し、逆進性の高い税金・消費税が上がったところです。社会的弱者は自己責任と切り捨てられます。

こういうのは、人間社会としてどうなのか? 一言で言えば「不自然」です。

ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと

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