狩猟採集民のように走ろう!

狩猟採集民について学びながら、現代社会や人間について考えるブログ

君たちが来たので生返ったよ──『カラハリの失われた世界』

カラハリの失われた世界 (ちくま文庫)

カラハリの失われた世界 (ちくま文庫)

 

狩猟採集民の話を読み始めたら、常識が完全に覆されます。刺戟的です。数ヶ月前、八王子・まつおか書房に入って買っておいた『カラハリの失われた世界』(ちくま文庫・おそらく品切れ状態)を期待もせず読み始めたら、ハラハラドキドキで……。

カバーとタイトルからして、こんなダイナミックな展開を予想していなかったのです。たぶん、これ、創作がたくさん混じっていますね。面白すぎるもん。ドキュメント風小説という扱いにしましょう。

ロレンス・ヴァン・デル・ポストは、1906年、いまの南アフリカ共和国に生まれました。彼はのちに英国軍として従軍し、日本軍の捕虜となります。その体験記が──また無知を笑われますが──大島渚『戦場のメリークリスマス』の原作となったそうです。

主人公「私=ヴァン・デル・ポスト」の数世代前の祖先はアフリカの先住民を虐殺しながら開拓した白人でした。しかし彼自身はこどものころ黒人奴隷などに聞かされたブッシュマンの野生の知恵や能力に憧れました。1950年代、BBCの協力を得て、ヴァン・デル・ポストは絶滅しているかもしれない昔のままのブッシュマンを探す旅に出ます。

未だにやらせ問題がなくならないんですから、映像の世界を知る著者は間違いなく虚構や誇張を挿んでいるはずです。冒険小説とみまがうスリル満点のストーリーになっています。働かないカメラマン、叛乱しかねない丸木舟の漕ぎ手たち、ピストルでの猟のさなか突進してきた野牛、「私」のピストルだけが獲物に当たる幸運……。Google Map でボツワナの地名を辿りながら、読み進めました。古代ブッシュマンの壁画が残るすべり山(間違いなくツォディロ・ヒルズでしょう)の出来事はまさしくマジック・リアリズムでした。

「私」たちはついに純粋な野生(ワイルド)ブッシュマンと邂逅します。そこまで300頁もかかるのですが、飽きることなく引っ張られました。

偶然出会った若者に向かって、テレビクルー一行の通訳ベン(開拓者に雇われているブッシュマン)はこう話しかけます。

「今日は! 君の姿は遠くから見えたよ。腹がへって死にそうだ!」

すると若者はこう応えます。

「今日は! ぼくは今まで死んでいた。だが君たちが来たので生返ったよ」

彼らの宿営地に赴いた一行は、狩猟採集生活をつぶさに観察し、映像に記録しはじめるのでした。

「私」はブッシュマンの特徴をいろいろ挙げていますが、今回はひとつだけ触れます。

移動型の狩猟採集社会では、年老いて旅に耐えられなくなった老人をしかたなく置き去る例があり、本書のブッシュマンもそうであるらしい。狩猟採集生活をユートピアでないと語る人たちは、それをもって先史時代の人間が野蛮であった、人間はもともと凶暴なのだ、と主張します。ロレンスは、通訳になってくれたベンと、その問題について会話しました。

「だがあの年寄りたちはどうやってついていくのだろう?」
 はじめて朝会った高齢の夫婦が、今みんなの後についてとぼとぼと帰っていくのを見て私は尋ねた。
「彼らも行けるところまでは行くだろう」とベンは答えた。「しかしいずれついて行けなくなる日がやってくる。そうしたら、みんなが彼らを取り巻いてはげしく泣くだろう。二人のために許すかぎりの食料と水を分け与え、野獣から身を守るための厚いイバラの小屋もつくってやるだろう。それから、二人を残してなおも泣き泣き、人生から求められるまま旅を続ける。遅かれ早かれ、おそらく食料や水のなくなる前に、豹かハイエナが、ハイエナのほうがふつうだけれど、小屋に踏みこんできて彼らを食べてしまうことになる。昔からずっとそうしてきたという話だ。砂漠の危険を逃れて真に年老いるまで生き残った者の運命は、そうにきまったものだということだ。しかし彼らは泣き言ひとつ言わず運命に従うだろう」
    (略)
 私はしばらく一人で坐って、彼の話したことを考えていた。われわれすべてに生命が与えられるのは、過去に、生命それ自体の要求を何よりも尊重した者があったからこそではないか。その終りが体の内なる病によるか外なるハイエナによるかが、それほど重大な問題になるであろうか。あの素朴でしわだられの老ブッシュマンのように、生命全体の中で自分だけを特別のものと考えないならば、われわれも死に直面する勇気をもち、死に方に意義を与えることもできるだろう。

引用が長くなりました。老人を置き去りにする報告は多数あるらしくハラルなどは人間は暴力的だと書いていますが、そう結論づけるのは早計のように感じます。

BBCで放映された番組の反響は大きかったそうです。おそらく一般の狩猟採集民のイメージは、頭が悪く、不潔で、いつも飢えている野蛮人だったのではないでしょうか。解説・田中二郎によると、ロレンスの探検以降、人類学者がブッシュマンの研究に乗り出したそうです。私はドキュメント風小説と書きましたが、科学的研究の端緒となったのであれば、この作品と映像は当時の狩猟採集社会のイメージを転倒させる効果があったに違いありません。

彼が製作した映像は、YouTubeに何本かアップされています。動画の質はあまりよくありませんが、ひとつリンクしておきます。スタジオで話しているのがヴァン・デル・ポストで、弓のような楽器を演奏しているのが最初に出会った若者ヌホウ。別れ際、(演出っぽく)女の子が手渡してくれたのは、水の入ったダチョウの卵です。