狩猟採集民のように走ろう!

狩猟採集民について学びながら、現代社会や人間について考えるブログ

『服従の心理』

 50年前に行われたS・ミルグラムの実験です。

イェール大学による教育プログラムのデータ収集のためと言い、一般の人を公募します。集まった人には報酬と交通費が支給され、実験は大学で行われました。

被験者には、電気ショックの罰を与えることで記憶力がアップするか否かを検証する科学的実験だと説明されました。

2人組を作ってくじ引きをし、テストを出す先生役と、回答する生徒役に分かれます。2人は隣り合わせた別の部屋に座ります。先生役が座る部屋には権威ある大学の教授が同席。隣室の生徒役は椅子に拘束され電極をつけられています。

先生役の前には、30個のスイッチがついた箱が置かれています。生徒役が誤答した場合、先生役はスイッチを押し、生徒役に電撃を与えます。最初は15ボルト。間違えるたび衝撃を15ボルトずつ上げていき、ラスト30回目の電流は450ボルトになります(あらかじめ、先生役も45ボルトの衝撃を体験しました)。

75ボルトくらいから、となりの生徒役がうめく声が聞こえます。120ボルトで「電撃が苦痛だ。出してくれ」の叫びになります。150ボルトで「実験の先生、出してくれ!もうこの実験には協力しないぞ!」。徐々に叫びは強くなり、180ボルトでは「痛くて死にそうだ」、270ボルトで苦悶の絶叫となる。300ボルトに上がったところで、「もう記憶テストに参加しないぞ」という絶望的な叫びが上がりました。

隣室の反応を聞いた先生役は、苦しそうな声を耳にし、何度も同室の大学の教授に「ああ言っていますが……」とお伺いを立てます。教授は「電撃は苦痛でありますが永続的な肉体への損傷はありません。続けてください」「続けなければ科学的実験が成り立ちません」などと促します。

回答者は315ボルトで激しく絶叫して壁を激しく叩き、もうやめると断言。330ボルト以降いっさい反応がなくなりました。教授は無回答を誤答とみなし、先生役に向かってさらなる電撃を与えよと命じる。そしてまた出題、無回答、電撃……。
 
この実験では、40人が先生役となりました。他傷行為の精神的苦痛に耐えられず、中断した人もいます。教授の要求に従って、最後の450ボルトまで電撃を加えた人は何人いたでしょうか? また、あなたが先生役だとしたら、果たして、450ボルトまで電撃を続けられますか?

服従の心理 (河出文庫)

服従の心理 (河出文庫)

 

最大450ボルトまで続けた人は、40人中26人でした

これは罰と記憶力の関係を調べるためではなく、普通の人が命令によって他人を傷つけられるか、という実験でした。生徒役は役者で、電気ショックを受けたふりをしていたのです。

この実験により、権威者の指示で、普通の人が簡単に冷酷なことをしてしまうことが明らかになりました。すなわち、ホロコーストの虐殺は、ごくふつうの人が起こしうることを証明したのです。ミルグラムはユダヤ人でした。

実験と服従の心理状態をつぶさに書いたS・ミルグラム『服従の心理 』によれば、人間がモラルや感情を飛び越えて、そんなことができてしまう理由を、エージェント状態という言葉で説明しています。

 エージェント状態に入った人物は、それまでとは別人になり、いつもの人格とはすぐに結びつかない新しい性格を帯びるようになる。
 まず、被験者(註=先生役)が実施する活動は丸ごとすべて、実験者との関係に影響されるようになる。被験者は通常、実験者(註=同室の教授)という中心人物の前で有能に行動し、いい印象を与えたいと願う。そして、有能ぶりを示すのに必要な、状況の特徴に意識を集中させる。命令に耳を傾け、電撃を加えるという技術的な要件に集中し、目の前の狭い技術的な作業に没頭してします。学習者(註=生徒役)の処罰は、体験全体の中でどうでもいい部分に縮んでしまい、実験室の複雑な活動の中でただのお飾りと化してしまう。

ある時点で、ひとは命令系統に組み込まれ、単に命令を真面目に遂行する存在に変貌してしまうというのです。

人間に服従本能があるというのではなく、シチュエーションによって発現するといい、上の命令に従うヒエラルキー(階層)は、集団が生き残るために有利であったとミルグラムは書いています。

私は威張ったり威張られたり、理不尽な命令を遂行することが嫌いです。それでも会社や学校で、不条理な経験をして、ときには抵抗しました。親はわりとうるさくなく、中学から大学もさいわい自由な校風でした。十数年務めた会社でもあんまり理不尽を感じなかった。上の人からは生意気だと言われましたけど、一方で、後輩に威張ったりはしなかったと思います。

権威者に命じられて悪いことを実行する者の心理は「自分は命令に従う忠誠心が正しい。悪事に対する責任は自分にはない」と考えるらしい。

日本の場合、必ずしも権威者が責任をとるとは限りません。「詰め腹を切る」というやつです。公文書改竄という大罪で自殺された方はたしかに実行はしたのでしょう。しかし命令したやつは責任を取ったのか?

生きづらい階層社会にあって、私が初期狩猟採集的の平等的社会に憧れるのは当然です。階層の一部で歯車になるのは心的な緊張がともないます。狩猟採集社会や他の社会を観察しながら、すこしはマシな社会変えていきたいと願うのです。たとえば、ミルグラムは親のしつけと学校が服従の事前要件になる、と書いています。フーコーは学校を近代が発明した監獄だと書きました。しかし、アメリカや日本と、北欧のしつけと学校は明らかに違います。さらにいえば、アマゾンのピダハンみたいに子どもに絶対手を出さない狩猟採集社会があり、学校に行けと言われても行かない集団もあるのです。だからといって彼らが不良になるわけではありません。

この本、訳者・山形浩生が、実験からミルグラムが導いた服従心理の解説に疑義を呈しているのが面白い。私が読みながら不思議だと感じたことも書いてあります。