狩猟採集民のように走ろう!

狩猟採集民について学びながら、現代社会や人間について考えるブログ

『隠された奴隷制』

隠された奴隷制 (集英社新書)

隠された奴隷制 (集英社新書)

 

◉前口上

初期の移動型狩猟採集民は平等で幸せに暮らしていたらしいと読み、衝撃を受けました。時代が進んで財産や階層や差別が生じ、ついに奴隷までうまれた社会は、成熟した仕合わせな社会なのでしょうか。狩猟採集民を鏡にすれば、現代日本の、父権的階層社会や自己責任論などにますます疑念がふくらみます。低い最低賃金で長時間働いても生活が苦しいシングルマザーや、過労死するようなブラック労働環境を生きる労働者が、現代の奴隷のようにも見えてきたのです。多くの人は生活が楽にならず、消費税も上がるというのに声を上げず、どうやら富裕層だけがますます富んでいく……。

奴隷や奴隷状態に陥る人間について、読書案内にもなる通史を書いてくれた人はいないかな、とかねがね思っていたんです。先日、書店をブラブラしていたら、刊行されたばかりの植村邦彦『隠された奴隷制』が並んでいました。わずか250ページですけど、私の期待に200%答えてくれました。

 

◉社会主義の崩壊により新自由主義が誕生した

思想史のなかで、奴隷に反対的立場だったのはルソー、ヴォルテール、アダム・スミス、ジョン・フランシス・ブレイ、マルクス。ヘーゲルはちょっとビミョーらしい。

マルクスは黒人奴隷の時代が終わっても、社会に奴隷制という経済的カテゴリーが依然として存在しているとし、一般的な賃金労働者を「隠された奴隷」と名づけました。

本書は、資本主義は奴隷を必要とするシステムであること、を明らかにします。

マルクスが「隠された奴隷」について書いたのは150年前。20世紀前半に社会主義国家がうまれ、それに対抗する形で資本主義国家には福祉国家的社会保障政策が展開されました。しかし、20世紀後半、社会主義国家が崩壊すると、資本主義国家は福祉国家を撤回し始めたそうです。(←なるほど!)

デヴィッド・ハーヴェイはそれを「新自由主義的反革命」と呼びました。

結果、アメリカでは《過去三〇年間かそこらになってはじめて、労働者は生産性向上から利益を得ることができなくなった(略)。資本者階級はこの利益のほとんどすべてを領有した。》《新自由主義的反革命の結果として、各種資料で実証されているように、新自由主義的路線に従ったすべての国で社会的不平等の水準が途方もなく増大した。

知らず知らず、一般賃金労働者は隠された奴隷状態を強化されているのです。

 

◉人的資本(ヒューマン・キャピタル)と自己責任論

さらに、新自由主義拡大と「自己責任論」は軌を一にしています。

ゲイリー・スタンリー・ベッカーの「人的資本(ヒューマン・キャピタル)」という概念は、たとえば高学歴だと低学歴の人より稼げることを人的資本投資と貨幣収益率で説明するのだそうです。教育は投資、労働力を資本と見なします。教育すら経済活動のなかに組み込まれたわけですね。

ハーヴェイは、自己資本利益率があると思わせることにより、金を稼げないのは自分に投資するのを怠ったからだという自己責任論が生まれると批判しているそうです。

ヒューマン・キャピタルを日本ではふつう「人材」と訳すそうです。クラクラしてきた。人間は材料ではないのに。そっか、最近耳にする文系不要論、あれも理系とくらべて投資に対するリターンが少ないからだというんだな。勉強や学問は投資じゃないのに。数十年前から耳にする自己啓発セミナーは、自分による自分のための投資なんだと書いてある。むむむ……めまいがしてきた。(そういえば、バブルがはじけるころ、ダブルスクールというのが流行ったっけ)

 

◉隠された奴隷を、どう解放するか(今後の課題)

新自由主義によって奴隷は新しいヴェールで覆われました。それを著者は「新しい自発性」という熊沢誠によるキーワードで説明します。自己責任が共通認識となった社会にあって、責任を果たそうとして過労死する人たちが出てきます。労働闘争して楽な労働を獲得すべきだし、もっと追い込まれたら逃げ出してもいいはずなのに、それさえ発想できずに死んでしまう人たち……。

第六章「奴隷制から逃れるために」が本書の核ですが、その章に引用される本を読んで確認したいこともあり、詳しく触れません。狩猟採集民を学ぶ仕上げとして読むつもりの『ゾニア』と、このたび新しく知った『負債論』をメモ。とくに後者にビックリ。伝統的社会に単純な物々交換はなく、彼らに「ありがとう」という言葉が少ない事実から、貨幣や奴隷制への本質に迫っているらしいことに驚きました。

ともあれ、事態は良くない。資本主義は奴隷制が前提であるなら、福祉国家のタガが外れたが最後、資本家が稼ぐだけの暴走ブラック社会になるからです。

現に、いまの日本がそうです。移民とは呼ばないだけの外国人「材」、つまり安い労働「力」を大量に日本に迎え入れ、大企業や高額所得者の税率は下げ、逆進性のある消費税だけが高くなる。社会福祉は削られ、年金支給はどんどん伸びていく。

ルソーが『人間不平等起源論』(中山元・訳)で書いた、不平等社会の末路を想起します。

(略)都市の市民は汗を流し、たえず動き回り、もっとせわしない仕事を探して苛々しつづけるのである。彼は死ぬまで働く。そして生きることができるようにするために、ときには死に向かって突進することすらある。不死の命を求めて死ぬことだってするのだ。自分の憎んでいる権力者と、自分の軽蔑している金持ちに媚びへつらい、こうした人びとに仕える栄誉を手にするためなら、どんなことも厭わない。自分の卑しさと、こうした人びとからうける庇護を誇らしげに示し、自分の奴隷状態を自慢して、こうした奴隷状態に加わろうとしない人々を軽蔑する。

 なんとかせねば。 

人間不平等起源論 (光文社古典新訳文庫)

人間不平等起源論 (光文社古典新訳文庫)