講談社編『東京オリンピック』

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 前置きしますが、2020年東京オリンピックには私は当初から一貫して反対しています。徹頭徹尾、反対です。裏があるのにおもてなし。
 講談社編『東京オリンピック』(講談社文芸文庫)読了。講談社文芸文庫はタイトルを箔捺ししますが、本書は収録作家名の明朝体まで箔にしちゃいました! 菊地信義先生、さすがです。
 多くの作家がものした1964年東京オリンピックに関する文章のアンソロジーです。何人か、好きな小説家の名前があります。もしかすると、私の知らないオリンピックの負の側面が記録されているのではないかと、購入しました。
「一、開会式」「二、競技」「三、閉会式」「四、随想」という章立て。全体に軽い読み物です。最初の三章、つまらないとは言いませんが昂奮することもなく……。大半が平凡な素人スポーツ観戦記です。選手にインタビューした文章もなければ世界情勢やオリンピックの影の部分もほとんどない。新聞社にチケットもらって現地で観戦した素人記者の記録でした。現地で見ることで、たとえばモノクロテレビに映らない開会式のカラフルさを伝える価値はあるでしょうけど、そんなことは新聞記者にもできること。「その作家にしかできない見方だ」というのが案外少ないのです。柴田錬三郎の剣豪小説風ウエイト・リフティング評や、富田常雄の柔道評は楽しめましたけど。
 非凡な書き手は三島由紀夫です。身体の美や躍動に対する理解の深さが他を圧しています。「『美と力』の接点・体操」より引用しましょう。

 はいっていきなり遠藤選手の床運動(徒手)を観たが、ひろいマットの上の空間に、ジョキジョキよく切れる鋏を入れて、まっ白な切断面を次々につくってゆくような美技にあきれた。私たちはふだん、自分の肉体のまわりの空間を、どんよりと眠らせてほうっておくのと同じことだ。
 あんなに直線的に、鮮やかに、空間を裁断してゆく人間の肉体。全身のどの隅々にまでも、バランスと秩序を与えつづけ、どの瞬間にもそれを崩さずに、思い切った放埒を演ずる肉体。……全く体操の美技を見ると、人間はたしかに昔、神だったのだろうという気がする。というのは、選手が跳んだり、宙返りしたりした空間は、全く彼の支配下にあるように見え、選手が演技を終って静止したあとも、彼が全身で切り抜いてきた白い空間は、まだピリピリと慄えて、彼に属しているように見えるからだ。

 うまい! 複数収録された三島由紀夫の文章だけ読んでもいいかも。
 大江健三郎もなかなか面白かったけどね。
 オリンピック賛辞を立て続けに読むうち、「これは昭和39年の文学報国会だな」とウンザリしてきました。もともと大会に興味がなかったという菊村到は、ウエイト・リフティング観戦記で、こう書いています。

 しかし、だんだん期日がせまってくるにつれて、われながら信じがたいことに、なんとなくそわそわしはじめてきたのであり、オリンピックというものが、おれの生きているあいだ、もう二度と、おれの目の前で、おれが生活しているこの同じ日常的な平面で、おこなわれることはないのだから、やはりこれは千載一遇の好機というべきなのだというような奇妙に切迫した感情に追いつめられ、まさか、自分ではそこに足をはこぶことはあるまいと思っていた競技場に、ついに足をふみいれることになってしまった。
 こういう心理的な経過に、私は記憶がある。つまり、戦争にまきこまれていったときの、あのプロセスに似ていると思うのである。(略)

 反対していても、雰囲気に呑み込まれていくのは戦争と同じだというのです。そして文学報国会のような短文をものするという……。重要な指摘です。
 狂騒から距離をとった「四、随想」に、少し良いものがありました。中野好夫はオリンピック期間中、東京を離れてテレビで観たそうです。そういえば、私の知っている或る作家(故人)は、開会式当日に伊豆に新婚旅行に行ったのでした。『いだてん』で秀逸なタイトルロゴをデザインした横尾忠則さんは、オリンピックのデザインチームの一員でしたが、大会期間中は洋行しています。日本人全員が熱狂に巻き込まれたのではないのです。本書の最後に収録された小田実の文章は、北朝鮮やインドネシアが大会直前に帰国させられたことやナショナリズムについて書いています。オリンピック一色の非日常な嵐のあと、大局から観た理知的な文章を読むとホッとします。
 探せば、オリンピックの影の歴史を書いた作家がたくさんあるに違いない。私なら、そういうのを集めるんだけどね。
         ☆
 解説の高橋源一郎はだいたい私と意見が一致していました。仮に2020東京オリンピックが開催されるなら、高橋氏には厳しいことを書いてもらいたい。

東京オリンピック 文学者の見た世紀の祭典 (講談社文芸文庫)

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