平成23年8月24日付の賞状が出てきました。平成23年って何年前?……ジーガシャガシャ、ジーガシャガシャ……6年前か。となると西暦で……ジーガシャガシャ、ジーガシャガシャ……2011年。東日本大震災の年ですね。
その日、いつものように、仕事しながらTBSラジオ「小島慶子キラ★キラ」を聴いていたんです。ちょうど聴取率調査週間(2ヶ月に1度の、いわゆるスペシャルウィーク)でして、毎日一番いいメッセージに3万円をあげる、という企画をやっていました。
その日のテーマは、「藤子不二雄と私」でした。ああ、そういえば……と書いたのが、次のメッセージです。送信済みメールに保存されていたのをコピペします。
勉強もスポーツもできず、コンプレックスだらけで鬱々と過ごしていた高校1年のこと。
当時小学生の妹が読んでいた学年誌に《足が速くなる方法》の図解が載っていました。走るポーズをしたのび太の横で、指示棒を持ったドラえもんが《走り方》を解説しています。ドラえもんは「アゴを引け」とか、「つま先で走れ」とか、「腕を振れ」、などと解説していました。
私は「そんなことで速く走れるなら誰も苦労はしないよ、フン」と雑誌を放り投げました。
翌週、たまたま100M走の計測がありました。どうせ今年もクラスのビリ争いするんだもの、騙されたつもりでドラえもんの指示通りに走ってやろう、とスタート。そしたら、あら不思議、13秒前半で走れ、上位に入ったのです。ゴールしてタイムを聞いた瞬間、空の色が明るくなりました。
それから私は活発に外で遊ぶようになり、性格も明るくなりました。
100Mのタイムも最終的に12秒半ばまで伸びました。
ありがとうドラえもん!
私のメッセージがラジオで読まれました。誇張はありません。将棋と読書が好きなインドア派で、それ以前は、いまほど快活ではなかったのです。
パーソナリティの小島慶子さんとライムスター宇多丸さんが勝手に盛り上がります。
「この人すごい。クラスのいじめられっ子だったのに(いじめられっ子だなんて書いてない)、ドラえもんの指導でクラスで一番になったんだよ(一番だなんて書いてない)。リアルのび太じゃん!」
ドラえもんの漫画に直接影響を受けたエピソードではないので、まさかとは思いましたが、なんとその日のメッセージ王に選ばれ、3万円を獲得したのでした。
写真はその証拠です。^^ 頂戴した3万円のうち1万円は妻に進呈し、あとはシューズ代と飲み代に消えました。
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以下、蛇足。
上記のとおり私は将棋部でした。空が明るくなったとき、「将棋なんてやってる場合じゃねえな」と感じました。その年の夏休み、団体戦で広島の代表になって全国大会に行き、ベスト8という結果でした。私はそれで満ち足りて将棋をしばらくやめました。今はネットでたまに早指しする程度で、もっぱら観戦です。藤井聡太四段がとても強いことくらいは理解できます。
私、ドラえもんのおかげで100Mのタイムが伸び、「世の中、要領がわかれば大きく伸びることがある」と学習しました。受験勉強の要領を理解するのに人より長くかかってしまい、浪人しましたけど。ただ、短距離が少し速くなっても長距離はほとんどビリのままでした。「要領よく」マラソンが速くなる方法はわからんままじゃけん。