狩猟採集民のように走ろう!

狩猟採集民について学びながら、現代社会や人間について考えるブログ

萩往還ウルトラマラニック250km参戦記(3/3)

萩往還マラニック参戦記(2/3)から続く】

5月4日(火)0時〜

どなたかが「宗頭文化センターを0時に出れば全部歩いても完踏できる」とブログに書かれていました。異論もあるようですが、その説を信じることにしました。

数人まとまって藤原商店を左折。大通りに出るまでの上り坂は真っ暗です。1人だったら心細かったでしょう。この夜はずっとMくんと走りました。

月がぼやけていた前日と違い、今夜は星が綺麗に見えます。

三見駅CP(188.6km)からしばらく暗い道をくねくね走ります。

見知らぬ参加者がMくんと私についてきました。3人になるのは別にかまわないんですが、そのランナーが一方的に喋りつづけるので、口を封じられた私たちは眠気に襲われフラフラです。

住宅街が近づくと、見知らぬ同伴者はさっさと進んでいきました。私はMくんとともに女性二人がやっている私設エイドでコーヒーをいただき、やや復活。じつは──事前にきちんと予習してない私は知らなかったんですが──三見駅CPからここまでは何度も踏切を横切るせいかお化けが出るという噂があるらしいのです。さきほどの参加者は、ひとりでお化けエリアを進むのがイヤで、私たちと行動をともにしたのか。おしゃべりを聞き続けるのはつらかったなあ。玉江駅エイド(195.5km)までは、その晩いちばんのスピードで駆け抜けました。

以降は140kmの部のコースと合流します。大好きな黎明の萩市街です。

虎ヶ崎CP(207.4km)に到着したときは朝6時半をまわっていました。椿の館で、私は3年ぶりにカレーの大盛りを、胃をやられたというMくんはうどんを食べ、軽装になって7時にスタートしました。

結局、昨夜もあたたかく、私は半袖+長袖+うすいジャケットと短パン程度で走りました。二晩ともグローブは不要でした。

Mくんとはここで別行動に。足を痛めている私は彼にやや遅れて虎ヶ崎の短いトレイルを走ります。石を踏むと傷だらけの足裏が悲鳴をあげました。

金照院CPに向かう途中、毎週50km走の練習をして140kmの部に臨んだ同級生や、ギリギリで完踏をめざす250kmの部の知り合いとすれ違います。みんな頑張ろう。

にわか雨に見舞われたあと、今日もカンカン照りになりました。陶芸の村CPを過ぎたら、70km、35kmの部とすれ違います。陶芸の村を降りかけたところに70kmの部の1位の選手が颯爽と走ってきました。トップランナーのタイムからしてつまり午前8時半くらいだったのでしょう。

「足首が赤くなっていますよ、大丈夫ですか」と後続のランナーに指摘されました。「歩きながら日焼け止めを塗ったので、塗り忘れたところが灼けたんでしょう」と答えましたが、かなり浮腫んでいたのですね。

5月4日(水)?時〜

このあたりから記憶があやふやです。70kmの部、歩け歩け35kmの部のみなさんとすれ違うたびエールの交換をしました。

往還道では三つの峠を登ります。一升谷は難所ですが、上りは結構すすめました。難儀するのは下りです。筋肉のダメージより先に足裏が次第に衝撃に耐えられなくなり、下りどころか平坦な道も走れなくなってきました。小石はもちろん、雑草を踏んだりしてもイテテッと声が出ます。

寝不足のため相変わらずぼんやりしていて、橋を渡るときなど、川に吸い込まれそうになるためなるべく真ん中を歩きました。怪我だけはしたくない。

あれはどこだったでしょう。Mくんが休んでいます。「一緒に行こうよ」と声をかけたはずですが、彼は「足が止まった。完踏は無理かもしれない」と言います。その後の会話は詳しく記憶しませんが、私はダラダラ歩きつづけました。

進みながら考えます。ベテランのウルトラランナーの多くはズルッ、ズルッと摺り足で走ります。早歩きも摺り足です。そのたびブレーキがかかりますが、着地衝撃が少ないことも事実の一面です。私もMくんもマラソンのときと同様、摺り足ではありません。しかしバネを活かして起伏やトレイルのある超長距離を走りつづけるには、私たちが履いていたアディゼロ Japan boost3 は薄すぎたのではないか。次に走るなら HOKA One One でも試してみるかな。走らないけど……。

右足首痛が出てきて底屈しにくくなりました。踏みこむとズキッと衝撃が走ります。

佐々並エイド(236.8km)で10分仮眠をとろうとスマホのタイマーを設定。エイドにいた中学生に「タイマー鳴っても起きなかったら起こしてね」と頼んで眼をつむってみたんですけど、やはり寝られません。しかたない。あと一山15kmがんばろう。一歩一歩進めばそのぶんゴールに近づくのです。

4年前に70kmの部を走った自分は、250kmの部の選手を全員尊敬しながら見ていたのです。だから今日の自分は完踏するだけでいいじゃないか。

完踏して、4年前の私にメダルと完踏証を見せてやろう!

「自分にそんなことができたのか」って当時の私は腰を抜かすはずです。それに、もしリタイアしたら、来年もう一度やることになります。

こんなこと二度とやりたくない。這ってでもゴールするぞ。

幻覚は続いてます。長いロードで、お日さまに照らされながら、私は白昼夢を見ているのでした。具体的に記憶していませんが面白い夢が次々浮かぶんです。半分覚醒しているせいでしょう、幻覚って怖いもんじゃないと知りました。ウルトラトレイルランナーに元ジャンキーがたくさんいるのが理解できます。

道に落ちた笹の葉などのランダムな模様は全部文字に見えるんです。宇宙人が私にメッセージを伝えているのだな。前の若者が同じようにフラフラしているので話しかけると、彼も夢ごこちでした。

(……この段落は広島弁)板堂峠を登っとるとのお、あれじゃあれじゃ、前方にS食堂のIさんと、今年はエイドにまわった同級生が見えるじゃろ。予告どおり私設エイドを出してくれとるんじゃわ。あとで聞きゃあの、「気いつけいよ。わしの周りにいろんなものがおるでえ」と言いながらわしは彼らに近づいたそうなんよ。(広島弁終わり)

コーヒーをご馳走になってからさらに登りました。15時くらいかな。上りが終わって下りの石畳にかかりますが、無念です。足裏と足首の痛みで歩くのが精一杯。石畳に浮かぶ顔と、葉っぱでできた秘文字を見ながらよちよち歩きです。

やっとアスファルトに出ました。しかたねえ、こちとら歩きよ。

ウエーブスタートで21分後に走り始めたため、17時20分までに着けば46時間台の記録となります。速かないけど血だらけの足で完踏するんだから今日は勘弁してやろう。

ゴールまで数百メートル。最後のコーナー前後から、沿道に人があふれて応援してくれるので、いちおう走るふりをします。「ラスト走って〜」には「歩きたいよ〜」、「来年も来てね〜」には「歩け歩け35キロに出るよ〜」など、声援に減らず口たたいて応じているうち一瞬ウルっときましたが、ハイタッチで忙しく感傷はかき消されました。

香山公園に入ると同級生たちやS食堂のIさんが迎えてくれます。

毎年ゴールシーンは撮影されるんです。残り少ない瞬発力を振り絞ってジャンプ。ちゃんと写真におさまっているかな。

メダルをかけてもらいました。完踏証を見ると46時間50分台。みんなのところによろよろ寄っていき、メダルは「お店に飾ってください」とIさんに進呈しました。完踏証とCPシートは宝物にします。

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4年前の私、この完踏証を見よ!

ベンチに座っていると、徐々に知り合いのランナーがやってきました。もしかするとリタイアしたんじゃないかと思っていた知り合いも見えます。パッと立って出迎えられないのがもどかしい。

あっ、Mくんもやってきた。私がフィニッシュできたのは半分彼のおかげです。

みんな、おめでとう

5月4日(水)18時〜

ひとくち飲んだとたんひっくり返って寝てしまったというエピソードも聞くので、ビールは打ち上げまで控えました。60時間くらい寝ていません。足を引きずりながら荷物をピックアップし、ラン仲間の車で湯田温泉のホテルに運んでもらいました。

チェックインのあと部屋に入り、血で固まったソックスをメリメリ剥がしました。足首から先がフグ提灯みたいに腫れあがっています。心配していた足裏を覗き込むと、余計な皮膚は剥がれ、くっつくものはくっつき、見た目は思ったほど悲惨ではありません。化膿している箇所はあるものの血だらけのドロドロではないのでした。日焼け止めが合わなかったのか、(翌朝ほとんど消えましたが)太腿の前面に発疹が赤く広がっています。そこにも人類の秘密を解き明かす文章が綴られているのでした。世の中は暗号に満ちている。ただ、読み解こうとしないだけだ。

シャワーを浴びたい。トイレにも行きたい。しかし、ユニットバスの30センチ程度の段差をなかなか上れません。困ったぜ。

苦労してシャワーを浴び、時間をかけて着替え、徒歩2分のお店まで10分以上かけて歩きます。駐まっているはずの車がグングン大きくなって迫ってくる。まだ幻覚が続いているのだな。飲む前に轢かれてたまるか。

すでに始めていた10人くらいの仲間に割り込んで、ビールを注文。

おや、壁紙の模様や刺身のツマにも地球の先住人が残した暗号が書かれているのだ。

乾杯!

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