『日本のマラソンはなぜダメになったのか』感想

 歴代のフルマラソン日本最高記録保持者である(以下敬称略)宗茂、瀬古利彦、中山竹通、児玉泰介、犬伏孝行、藤田敦史、高岡寿成のインタビュー集です。
 ひとりにつき一章割いて、当時の練習法、現在のマラソン界への提言が披露されます。お風呂のお伴に、1日1人か2人ずつ読みました。
 私は駅伝を重視しているかぎり日本のマラソンの将来は暗いと思っています。日本の中長距離界はガラパゴス化していて、その最たる証拠が「日本人1位」なる単語でありましょう。マラソン中継でも、私は後方で駆け引きする日本人よりアフリカ系のランナーに注目しています。
 そんな私でも、過去、日本最高記録を叩き出したランナーの考え方を読むのはやはりとても面白かった。

       

 1965年生まれの私が子供のころ、世界に伍する選手だとワクワクさせてくれた3大アスリートは王貞治、具志堅用高、そして瀬古利彦でした(次点は縄跳びの鈴木勝己かな)。瀬古選手のレースは面白かった。宗兄弟やイカンガーにぴったりくっついて、トラックに入ってから見せるラストスパート! じつにテレビ向きな勝ち方でした。
 宗兄弟や瀬古に翳りが見えはじめたころ、中山竹通という傑出したスピードを誇る選手が現れます。1985年のワールドカップマラソン広島大会で、中山選手は2:08:15(当時の日本最高記録)の2位になりました。私はたまたまレースを沿道で応援していました。
 その後、何度か記録が塗り替えられ、2002年に高岡寿成選手が2:06:16をマークしましたが、その記録がいまだに破られないばかりか、2時間6分台の選手すら出ていないのはみなさんご承知のとおりです。アフリカ勢はどんどん記録を伸ばしていますが……。

       

 日本マラソンの練習法は、宗兄弟や瀬古が確立した基本を軸に、後続の選手が練習の意味を考え抜き、自分の個性を伸ばすため工夫を重ねたとわかります。中山をのぞく6人の練習メニューが公開されていますが、月間距離も内容もすさまじい。ハイペースの40キロ走が当たり前だったことにも驚きました。彼らは人一倍練習し、失敗を糧にして記録を樹ち立てたのです。
 悲しいかな、それら練習法の伝統は途絶えてしまったようです。たしかに非科学的な根性論にも見えるんですよね。しかし正しい科学的トレーニングに最大公約数的な正解もがあるわけじゃないんです。ケニアのカレンジン族は宗や瀬古ほど走り込んでないかもしれませんが、彼らが科学に基づくトレーニングをしているとも聞きません。
 現在の選手は、月間1,000km走るような練習を古いと考え、自主的に工夫することもなく監督のメニュー通りにやるだけだ、マラソンの練習をやってケガするより正月に駅伝に出ていればいいと思っている、ペースメーカーにしたがって自分でレースをつくらない、アフリカ勢に負けると端から決めているから追わずに「日本人何位」を気にする……など、手厳しいことがいろんな元ランナーの口から発せられます。
 何度か名前が出てきた川内優輝選手は、彼らより練習量は劣るかもしれませんが、自分で工夫して泥臭く努力する、ある意味昭和っぽいランナーです。往年の選手の40キロペース走が、彼の場合、レースなのかもしれません。防府読売マラソン、ガンバレ!
 登場する7人の歴代日本最高記録保持者のうち、箱根駅伝を走ったのは瀬古(早稲田)と藤田(駒澤)だけ。その2人も学生時代にフルマラソンを経験しています。高岡は龍谷大に進学して中距離を走り、あとの4人は高卒で実業団入りしているから、全員、箱根駅伝至上主義とは違うかもしれません。

       

 われわれ市民ランナーはトップ争いや日本記録更新なんて無縁でしょうが、目標タイムや昨日の自分、特定のライバル(←私にはないけど)と競っています。この本には参考になることも見いだせるはずです。
 私の場合、たとえば、

(略)他人がやらないことをしなければいけないと思います。それをやらなければ勝てるはずはない。私の場合は「ケニア人は自転車に乗っていないから俺も歩こう」と思ってずっと歩いていました。それを若い選手に何度言ってもわからないんです。
(第二章 瀬古利彦)

同じチームに5000mを13分26秒78で走ってハーフマラソンも1時間01分36秒の記録を持っていた年下の選手がいて、ポイント練習では太刀打ちできないくらいでした。でも彼は歩く時、腰が落ちた遅い歩きをしていたので、「そこを直さないからマメができて、2時間10分を切られへんのや。歩くときはキチンと歩け」とよくスタッフから注意されていましたし、私もしていました。彼はそれを理解しようとしなかったので(略)結局ベストは3回目のレースで出した2時間10分07秒に留まりました。体力もあるのでつなぎのジョグも練習内容もすごかったのですが、本人はそれで十分だと考えて走っていたのだと思います。
(第五章 犬伏孝行)

 などなど。 
 私ももう少し工夫して頑張ります。