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2011年3月11日以降のこと(2)

 地震の翌日は土曜日。
 名古屋国際女子マラソン、立川・昭島マラソン、熱海湯らっくすマラソン大会、神通川マラソン大会、大山登山マラソン大会、藍のまち羽生さわやかマラソンなどが中止と出ていました。数日後、板橋Cityマラソンも中止と発表されました。

 もやもやしながらランを再開したのは4日後。走ってる場合か、と思いつつ……。計画停電の区域に入りました。街灯がないと、道のわずかな凸凹がわからず、走りにくかった。無灯火の自転車とぶつかりそうになりました。
 群馬県で、信号が消えていたためにおきた交通事故で亡くなった方がありました。あの停電は必要なかったという話もあります。そうだとすると、本来、起きなかったはずの事故だったということになります。せつない話です。

 3月19日、私は友人とのかねてからの約束で広島に帰省しました。広島は東京より明るくて、東日本とは雰囲気が違いました。鹿と猿しかいない宮島の裏側まで走りました。
 アップダウンの連続で、アハアハ楽しい気分になるはずが、やはりどこか憂鬱でした。余震をこわがる妻を置いてきたのが気がかりだったんです。宮島では、東日本から避難がてら旅行にきた方と出会いました。
 広島でも品薄でしたが、単一電池を何本か確保して東京に戻りました。

 あの日、自分はまだ45歳だったんですね。
 マラソンの記録は、ネットで3時間半を切り、走るのが楽しくてしかたなかったはずです。しかしあの地震では、自分の走る意味について本気で考えました。ランをストイックな精神修養と感じる人もあるでしょうが、多くの市民ランナーにとっては楽しい遊びです。趣味という点では、ゴルフや釣りやカメラなどと変わりがありません。
 1キロ走るごとに何円か寄付しようと呼びかけ、賛同する人がたくさんいました。善意だから否定はしませんが、私は「被災地のためにあと1キロ走ろう!」という気にはなれなかった。「被災地のために、あと5、6分遊ぼう!」と同じに思えるからです。
 日本の有事に遊んでいていいのか、ひとより体力はあるんだから、ボランティアにいくべきじゃないか……しかし、仕事もあり、身動きはとれません。義捐金を振り込むのがせいぜいでした。
 私がエジソンなら、ランニングで自家発電する装置を考えたのに。

「ふつうの生活をしてくれることを被災地の人は望んでいるんです。みなさんが元気にならなければ自分たちも日常を取り戻せません」とおっしゃる方もいましたが、それは被災地の方がわれわれを気遣ってくださる言葉であり、われわれから発するセリフではありません。
 有名ランナーならば、レースで勝利して喜んでもらうこともできるでしょうが、一市民ランナーが元気に走ったところで、世界になんの影響があるでしょうか。

 2016年。
 たまたま親戚が被災したこともあり、復興しない町や仮設住宅に住んでいる人のこと、原発のことを忘れたことはありません。あの年、お通夜のように暗かった町で息をひそめてあれこれ考えた東京の人も、いまでは日常的に地震や原発のことは考えないのでしょう。それがあたりまえです。
 世界のために私ができることなんてないに等しい。しかし、だからといって走ってていいのかと自問自答しながら走っています。ちかく、また少額ながら義捐金を振り込みます。金額と私の走行距離とは無関係ですが、遊んでしまった後ろめたさとは多少関係があるかもしれません。

 震災があったのに招致している場合か、と思っていた東京オリンピックが残念ながら開かれることになり、確実に復興を遅らせています。
 5年後には、いまいましいオリンピックも終わっています。復興事業は進んでいるでしょうか。私は55歳。まだもやもやしながら走っているんでしょうか。