狩猟採集民のように走ろう!

狩猟採集民について学びながら、現代社会や人間について考えるブログ

ツルツルピカピカ新国立競技場

新国立競技場について考えること。

総工費が高すぎる。そんなもの要らん。そもそもオリンピックも要らん。オリンピック期間中は新横浜駅一帯を東京都の飛び地にして、日産スタジアム(総工費600億円)をメインスタジアムにしろ。国立競技場の跡地は公園にしろ。バカ高い建設費をかけて日本の技術を見せつけるなんて言うなら、せめて日本人の建築家に設計させてやれ。

……いちいち長くは書きませんが、新国立競技場の迷走ぶりをみるたび、以上のようなことを感じるわけです。

        ☆

ザハ氏によるスタジアム案をはじめて見たとき、めまいがしました。

「ああ、日本人はまだキラキラした未来像をもっているんだ」と感じたのです。

五十になんなんとする私の子供時代は、高層ビルが建ち並び、クルマが空を飛び交い、宇宙旅行したりテレビ電話で話したり、ビニールっぽい服を着た人間が出てくる未来像をよく目にしました。少年誌のグラビアや、鉄腕アトムに出てくる社会、ドラえもんがもともと住んでいた未来……みんなそうです。大阪万博が提示した来るべき世界も同様の、科学と電気によるユートピアでした。

一方、荒廃した未来も想定されました。無秩序で暴力がはびこる社会。アニメでいえば、キャシャーンとか、時代はややずれますが、ケンシロウが暮らすような世界です。ロボットが暴走したり、猿が人間を支配したり。

昭和のわれわれはそんなSF的な未来像をいくつかかかえながら(小説『1984』のようなディストピアもありましたが、あれは未来ではなく「パラレルワールド」という気もします)ツルツルピカピカの未来を理想としました。高層ビルから、あたり一面電気が点った夜景を見下ろせる不夜城のような都会、情報が瞬時に届くネットワーク……。

原発事故を境に、少なくとも私はそんな未来観は間違いだったと感じました。ツルツルピカピカがユートピアではなく、もっとエネルギー効率のよい社会に方向転換すべきだと考えたのです。地球に間借りしている人間は、あまり無軌道な破壊行動をすべきじゃない。「地球にやさしい」なんて人間本位の偉そうな言い方はしませんけど。

ところが、あのスタジアム案を見たら、日本はやはりツルツルピカピカの未来を目指しているようなのです。私の眼には、むかしのセンスの未来型建造物に映ります。たとえば、もっと緑をふんだんに使った(巨視的に見れば箱庭に過ぎませんが)スタジアム案だってありました。建設費だって──もちろん屋根をつけたって!──2,500億円もかからないはずです。

東日本大震災の復興に充てるべき資材と人材と巨額の資金をサブトラックもない中途半端なスタジアムに使う理由はなにか?

やはりあのスペースは公園にすべきです。