ランニングとは関係ない話を……。
タイトルの写真を見てもわかるとおり私はカープファンです。ランイベントでは昔の山本浩二のユニフォームを着ることもあります。背番号「8」は私にとっていまだに聖なる数字なんです。1975年、カープ初優勝のときの広島は完全に浮かれ、常軌を逸していました。私は10歳。日本シリーズ開催中、担当の先生は「帰って試合を見んさい」と、午後の授業をやめました。きっと先生も見たかったんでしょう。
黄金期を築いたカープに翳りが見えたのは1990年代です。91年を最後に優勝から遠ざかり、Aクラスでさえ維持できなくなります。川口和久投手を皮切りに、FA制度でベテランが抜けたのが痛かった。貧乏じゃ、みんな貧乏がいけんのんじゃ。
ところが、ここ数年、様子が変わりました。若手の擡頭によりカープがにわかに浮上し、2年連続で3位になりました。ローカル球団に全国的な人気があつまり、カープ女子はじめ新たなファンが登場します。彼女たちが「貧乏だけど頑張るところが好き」なんて言うのには苦笑しますが……。
そして今年。黒田博樹が戻ってきました。
2006年、FA権を取得した黒田は、阪神から3年契約12億円のオファーを断り、単年3億円でカープに残留してくれました。翌年、ロサンゼルス・ドジャースに移籍しましたが、黒田には2007年の1年間残留してもらっただけで充分だと感じていました。資本主義なんだもの、価値に見合った報酬を得られなければ移籍するのが当然です。
アメリカでの活躍にも注目していました。毎年のように複数年契約を断って単年契約し、「カープに帰るのも選択肢のひとつ」と言うのをありがたく聞いていましたが、莫大な年俸を提示する大リーグに対し、カーブはせいぜい3億円。これじゃ黒田に失礼です。最初からわかっていたことですが、アメリカに残留が決まるたび軽いショックを味わい、「もう『帰る帰る詐欺』はやめてくれ」と冗談を言ったものです。
その黒田が帰ってきたのですよ。20億円以上のオファーがあったのに、4億円+出来高のカープに戻ってきてくれました。
みんなが言う「男気」は、任侠っぽい言葉だから大嫌いですが、損得抜きで筋を通すというのは、任侠映画でしか見かけないのかもしれませんね。
大リーグでバリバリ活躍できる選手が日本に帰ってくるのは初めてではないです。引き合いに出しては悪いけど、同じ条件の年俸である松坂大輔投手とは少々格が違うのです。
前述のとおり、私は2007年の1年間だけで黒田には充分感謝していました。これ以上、どうやって謝意を示せばいいでしょうか。ユニフォーム買ったり著書を買ったりするかな。
オープン戦で見せたツーシームを駆使した黒田の投球術は、日本球界のピッチングスタイルを変えるんじゃないか、と思えるほど衝撃的でした。
期待しすぎかもしれませんが、なんとなく1975年とダブるのです。意識改革をはかったルーツ監督からチームを引き継いだ古葉監督のもと、赤ヘル旋風がおきました。全国の少年が赤いキャップをかぶったといいます。戦後の復興の象徴であるカープの優勝には戦後の資金難を支えてきたファンが大勢集まりました。
さて、金曜日から開幕です。カープ頑張れ!