走り始めた理由(1)

 走り始めた個人的な理由

先日、新潟シティマラソンのあと大学時代の友人と酒を飲みました。彼とはひさしぶりに会ったんです。2009年8月、大学時代の後輩のゼミ合宿に、二人で乱入したとき以来です。そのときはもう走り始めていて、宿泊先から近い山を走ったりしました。
私がマラソンを続けていたのに彼は驚いていました。「むかしはエピキュリアン(享楽主義者)だったのに、どうして走るのか」と質問するのです。アンナ勉強好キデ真面目キワナリナイ学生ダッタ私ニ、えぴきゅりあんトハ失礼ナッ。
そもそも走り始めた直接的な理由は運動不足解消でした。
会社をやめて独立したのが2002年7月。日韓ワールドカップが盛り上がっていました。がんばらなきゃと、サッカーも見ず出歩かず、昼夜なくパソコンに向かっていた同年9月末にお世話になった方が亡くなりました。告別式のため鎌倉へ向かったその日、家を出るのが遅くなり、駅まで走ったところ……300mも進まないうちに腰がちぎれそうに痛み、息がゼエゼエはずむのです。電車を逃すと最後のお別れに間に合わないかもしれない。焦りつつ、その場に立ち止まって喘ぎました。そのとき思ったのです。
「こりゃ、走らなきゃならん」
実際、走り始めたのはその半年後でした。初日は数百メートル走って終了しました。そのうち徐々に走れるようになり体重も落ち、身体が軽くなります。冬場は寒くて休むので元に戻りますが、春になったらまた走り……やがてやみつきになって、通年走るようになりました。
もうひとつ持久走を始めた大きな理由があります。「苦手だったから憧れていた」のです。私は学校のマラソン大会でほとんどビリを走っていました。短距離走こそ得意でしたが、長距離が全然ダメで、マラソン大会の後半、後ろを振り返ると太っちょしかいなかった。彼らが痩せたら私より速かったでしょう。
運動部にも所属しないのにマラソン大会はわりと速いやつがいましたよね。彼らにどうして速いのか理由をたずねると「短距離は才能だが、持久走は根性だ」と口を揃えました。ガーン。つまり私は根性なしのレッテルを貼られたわけです。
当時は、速筋や遅筋の割合が人によって違うことを体育の先生さえ知らなかった。持久走が得意だった同級生はなおさら自分が速い理由を説明できず、挙げ句の果てに「根性」と口走ったにすぎません。「根性なし」の私は、持久走に憧れを抱きつつ暮らしていたのでありました。
会社員時代、休日出勤から帰宅し、テレビを見ると「今年も青梅マラソンが開かれました」と、ローカルニュースに大会の模様が映し出されました。私はこたつに入ってビールを飲みながら、彼らを超能力者と感じました。自分には絶対できない。マラソンを走れる人が羨ましいなあ、と。

 よく誤解されたこと……

断続的に走っていましたが、きちんと記録をつけ、一年中定期的に走るようになったのは2007年です。私がジョギングしていることが少しずつ周囲に広まりました。ちょうど東京マラソンが始まり、マラソンランナーが増えたと言われはじめたころ。「ブームに敏感だね」と私を冷笑した知り合いが何人かいました。「もっと前から走っていたのに東京マラソンが始まったせいでこれだよ」と苦々しく感じたもんです。当時私を笑ったうち何人かはその後走り始めました。彼らに嫌みのひとつでも言ってやりたい。
私が読書好きだと知っている人からは、「村上春樹に影響されたから走るんだろう」と言われました。『走ることについて語るときに僕の語ること』が出版されたのもちょうど2007年のようですから。
その本は過去に2度通読しました。おもしろいと思いますが、ランニングに対する村上氏の考え方に共感しているわけではありません。ストイックすぎて暗いんです。アハアハ笑いながら走る私とは根本的なところが違うと感じています。
村上作品の特徴のひとつは「老化に抵抗することと、時計を戻せないことへの諦め」でしょう。氏がマラソンやトライアスロンに挑戦しているのも、その文脈でとらえられるはず。一方、私はアンチエイジングのために走ってないし、加齢によるタイムの伸び悩みもまだ経験していません。いずれ村上先生の本に共感する日がくるでしょうか。先生も村上朝日堂のころはもっと楽しそうに走られていた気がします。

 →「走り始めた理由(2)」に続く

走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫)

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