狩猟採集民のように走ろう!

狩猟採集民について学びながら、現代社会や人間について考えるブログ

マラソングランドチャンピオンシップ(MGC)

 

◉MGCは一発勝負ではない?

今年9月15日に開催されるマラソングランドチャンピオンシップ(以下、MGC)。東京オリンピックのマラソン代表を決めるレースです。

最近気づきました。純粋な一発勝負ではないんですね。2段階方式のようです。

「東京2020オリンピックマラソン日本代表選手選考方針」(PDF)やQ&Aを見て、1時間ほど頭の体操をしました。条件がややこしいので間違えていたらご指摘ください。

私が理解したところでは基本的に──

  • 2019/9/15のレースは名称「マラソングランドチャンピオンシップ(MGC)
    男女各2名が決定する。
    優勝者は無条件に代表内定。
    「MGC派遣設定記録」というのがあり、男子2時間05分30秒女子2時間21分00秒(対象期間は2017年8月1日~2019年4月30日)を3位の選手がクリアしていて2位の選手がクリアしてない場合のみ、3位が内定する。
  • 2019/12〜2020/3に「MGCファイナルチャレンジ」が行われる。
    (男子は福岡東京びわ湖、女子はさいたま大阪国際名古屋ウィメンズ
    「MGCファイナルチャレンジ派遣設定記録」は男子2時間05分49秒、女子2時間22分22秒で、その記録を突破した選手のうちもっとも速いタイムの選手が代表になれる。記録を突破できなかった場合は、MGC3位が代表となる。
  • 先に結論今回はMGCの1、2位が自動的に代表権を得る。3位もそのまま選ばれる可能性が高いが、MGCファイナルチャレンジの結果待ち。MGC1〜3位の選手もオリンピック参加標準記録を持ってない場合、秋冬にクリアする必要あり。

 

◉ややこしや【MGC編】

今回のMGCでは優勝者と2位が即代表になるようです。
参加選手のうち「MGC派遣設定記録」をクリアした選手は、男女ともにいません。男子の派遣設定記録なんて、大迫選手の日本歴代最高記録を上回っています。設定が高すぎる。

以下、いちおう「東京2020オリンピックマラソン日本代表選手選考方針」から引用しておきます(ややこしいので飛ばしてかまいません)。

3.選考基準編成方針に基づき、以下の優先順位により、日本代表選手を選考する。
(1)MGC優勝者
(2)MGC2位又は3位の競技者の内「MGC派遣設定記録」を突破したMGC最上位の競技者
(3)選考基準(2)を充たす競技者がいない場合、MGC2位の競技者
(4)MGCファイナルチャレンジにおいて、「MGCファイナルチャレンジ派遣設定記録」を突破した記録最上位の競技者。ただし、MGCシリーズに出場(完走)、又はMGCの出場資格を有することを条件とする。
(5)選考基(4)を充たす競技者がいない場合、選考基準(2)を充たしていないMGC2位または3位の競技者

4.選考方法
(1)選考基準[引用者註=3.の](1)、(2)、(3)による選考は、MGC終了時点において、即時内定とする。
(2)選考基準[引用者註=3.の](4)及び(5)による選考は、MGCファイナルチャレンジの男女それぞれの全指定競技会終了時点において、即時内定とする。

 

◉ややこしや【MGCファイナルチャレンジ編】

さて、最後の椅子は、男女とも3つのレースで争われます。

陸連がスポンサーやメディアに気をつかい、各大会の注目度を上げるための、いわば大人の事情なのでしょう。また密室でグレーな選考が行われるのか、と思ったんですが、《「MGCファイナルチャレンジ派遣設定記録」[引用者註=男子2時間05分49秒、女子2時間22分22秒]を突破した記録最上位の競技者》だから、ある意味わかりやすい。コースや天候のことを考慮してないので公平とはいえませんけど。

9月のMGCに参加してない選手にも、チャンスがあるようです。《ただし、MGCシリーズに出場(完走)、又はMGCの出場資格を有することを条件とする》。すなわち昨季のMGCシリーズ(MGC出場権を得るレース)に出て完走していれば、オリンピックのチャンスはあるわけです。

ただし、各レースでクリアしなければならない「MGCファイナルチャレンジ派遣設定記録」は男子2時間05分49秒、女子2時間22分22秒。男子にいたっては日本最高記録が求められます。

男子はびわ湖毎日、女子は名古屋ウィメンズが終わった時点で誰も「MGCファイナルチャレンジ派遣設定記録」をクリアしていない場合、MGC3位が代表に決定します

 

◉ややこしや【オリンピック参加標準記録編】

ところで、オリンピックには参加標準記録があります。

マラソンは男子2時間11分30秒女子2時間29分30秒とのこと。日本マラソン界にとっては高いハードルではありません。しかし対象期間が2019年1月1日〜2020年5月31日なんです。

去年の北海道マラソンや福岡国際マラソンなどでMGC参加の切符を手にした選手には参加標準記録を持ってない選手が多数います。たとえば、大迫傑もそうなのです。

MGCは夏レースですし、タイムは狙えません。順位を気にして駆け引きし、遅いペースで進むと思われます。オリンピック内定者も参加標準記録をクリアするため、秋冬にもう一本公認レースを走る必要が出てくるかもしれません

【追記】さらにややこしいことに、ランキング制度というのもあります。標準記録を突破しなくても、ランキング制度で救われる可能性もありますが、そのためには、やはり2大会走る必要があるので秋冬の大会に参加する必要があるらしい。ええい、フクザツ!

 

◉レース展開予想

MGCが夏マラソンの代表レース・北海道マラソンと同条件だとしましょう。北海道マラソンの歴代最高記録は、男子が2:10:13、女子は2:25:10。MGCはこれに「駆け引き」が加わります。

目的は代表入りです。タイムより順位が重要なので、3位以内(男子は、3位に入れば代表になったも同然です)を目指す展開になりそうです。女子は参加が12選手ですから、みんなグループになって進むか、福士選手あたりが先行して、やや遅れてほかの選手がまとまるかもしれません。先頭から脱落してズルズル後退する選手は、秋冬のレースにダメージが残らないよう、早々とリタイアしてしまう可能性があります。

苛酷なサバイバルレースになりそうです。3位以内に入れても、オリンピック参加標準記録に達しない場合は、秋以降にもう一度走る必要があります。

MGCファイナルでは、オリンピックを狙う有力選手は最後の枠を争い、厳しい条件を避けるでしょう。坂の多いさいたま国際マラソンを走る有力女子選手はいません。男子の場合、東京マラソンがタイムを狙いやすい。福岡国際と東京マラソンもしくはびわ湖毎日マラソンを走る選択肢もあるかもしれません。

「MGCファイナルチャレンジ派遣設定記録」は相当なハイペースです。男子は日本最高記録で一億円&オリンピックとなると格好いいんですけど、オリンピックを意識してハイペースで進み、自滅する可能性も大いにあります。そういう選手の姿はあまり見たくありませんが……。

 

私は東京オリンピックに反対です。真夏のマラソンも開催すべきではないと考えています。世界から最高の選手を連れてきて悪条件で走らせるなんて、ひどい話です。

でも、それを承知で頑張る選手の努力には最大の敬意を払っています。誰ひとりケガせず、力を出し切れるよう、願っています。

東京陸協大会情報

短距離の記録会を探すのはむずかしい。

マラソンではお馴染みのRUNNETスポーツエントリーでは、短距離の大会は出てきません。練習会情報もないんじゃないでしょうか。

東京限定の情報で恐縮ですけど、東京陸協主催競技会(2019年度)などがまとまっているほうかもしれません。下のほうにスクロールすると、大人が参加できる大会が出てきます。陸連のHPってほんと古めかしい。PDFばかりというのもストレスが溜まります。

『人間不平等起源論』

人間不平等起源論 (光文社古典新訳文庫)

人間不平等起源論 (光文社古典新訳文庫)

 

岩波文庫で読み始めたんですけど、冒頭に「へ?」という表現があったので、光文社古典新訳文庫に切り替えました。

前置き

最初は「世界に点在する狩猟採集民のレポートを読んで、自分の生活に採り入れられることないかな〜」と軽く考えていたのです。裸足系ランが好きだったり、炭水化物カットにシンパシーを感じているものですから。

ところが、本を読むうちに狩猟採集民そのものを好きになりまいました。『エデンの彼方』で読んだ文化人類学者コリン・ターンブルの文章を、もう一度孫引きします。

《彼らは人間として賞賛に価する特性をふんだんに発揮する。親切、寛容、思い遣り、情愛、誠実、もてなし心、同情、慈悲、等々。一見、たじたじとなるような美徳の羅列である。事実、これらが美徳だとしたら、出来すぎで鼻持ちならないだろう。ところが、狩人にとってこうした特性は美徳というより、むしろ、生きるための必要条件である。これがなければ、狩猟採集社会は崩壊する》

自然に帰れ! とは書いてないけど

狩猟採集民に関する本によく出てくるので、ルソー『人間不平等起源論』を読んでみました。有名な『社会契約論』はむかし読んだんですけど、こちらは初読。

18世紀後半に書かれた本です。大航海時代が始まって300年くらいでしょうか。ルソーは世界から集められた未開の地の情報を蒐め、人間がそもそもどんな暮らしをし、どんな心を持っていたか、を類推します。現在の人類学・考古学的な見地からすると、誤謬はありますけど、本質を鋭く見抜いています。

野生人には争いがない。所有という概念がない者同士が奪い合う必要はないからだ、とルソーは書いています。狩猟採集生活では、食事を平等分配することや、なにかをコレクションしないことが知られています。身のまわりの動物や植物を摂ってその日暮らしをし、自由を謳歌し、平等に生きていました。

「野生人」には「自由」が備わっている。現代社会も、誰かが誰かの自由を奪ってはならないはずだ……と、ルソーはそう考えました。ただし、有名な「自然に帰れ」とは書かれていません。野生状態を模索してその後の社会状態を相対化し、問題点を解決しようということでしょう。

土地所有があり、農耕に移ると、不自然な長時間労働が始まりました。天候次第で飢饉が起きます。人口が増え、富が生まれ、階級が生じました。

ある広さの土地に囲いを作って、これはわたしのものだと宣言することを思いつき、それを信じてしまうほど素朴な人々をみいだした最初の人こそ、市民社会を創設した人なのである。そのときに、杭を引き抜き、溝を埋め、同胞たちに「この詐欺師の言うことに耳を貸すな。果実はみんなのものだし、土地は誰のものでもない。それを忘れたら、お前たちの身の破滅だ」と叫ぶ人がいたとしたら、人類はどれほど多くの犯罪、戦争、殺戮を免れることができただろう。どれほど多くの惨事と災厄を免れることができただろう。

支配 - 被支配の関係が生まれ、誰かが誰かの自由を奪います。奴隷も生まれます。狩猟採集生活では怪我と老衰以外に病気はなかったのに、人口密集により家畜・ネズミなどから新しい病気が増えていきました。食糧を社会が管理するようになると、農業や牧畜以外の専門職ができ、武器が工夫されました。富める者は、精神的に隷従している民を使って勢力を拡大し、ますます富む。貧しい者は自由を奪われたことを疑うことがなくなり、ますます貧しくなる。 ついには核兵器に手を染める。

ところで、人間はどんな理由で農耕なんて始めたのでしょうか。ルソーは以下のように書きます。《農業などを営なまくても大地は食料を提供してくれることを考えると、農業の役割は、大地から食料を手に入れるというよりも、わたしたちの好みにあう食べ物を、大地に無理やりに生み出させることにあるのだ》……わかりにくいですよね。『炭水化物が人類を滅ぼす』で、著者・夏井睦医師は単刀直入に書いています。なぜ人間は苦労して穀物栽培を始めたのか?

「炭水化物は甘かったから」

野生人・奴隷・再配分

最近の私のテーマは「狩猟採集民」のほかに「精神的な奴隷」や「再配分」でした。

そのうち『社会契約論』も読み直しますが、ここでは、去年読んだ坂井豊貴『多数決を疑う』から『社会契約論』を解説した部分を引用します。

(略)共同体内では財産の一定の再配分が求められる。まずそれは人々の生存を支えるうえで欠かせないからだ。さらに過度の財産的不平等は、人格的にも対等な関係を崩し、高慢、虚栄、卑屈、追従などがはびこる状態へと社会を導いてしまう。そうなれば(略)理性による自治であったものが欲望による支配へと、義務の遂行であったものが力への服従へと、契約前のような状態に戻ってしまうからだ。
(略)では、どの程度の再配分が必要かというと、ルソーは「誰も他者を買うことができず、誰も自分を売らないですむ」程度と表現している。

《「誰も他者を買うことができず、誰も自分を売らないですむ」程度》とは、誰も王様や奴隷に陥らない程度、ということ。

みなさん、最近の日本、おかしなことになっていませんか。

昨年、ハンガリーでは、年400時間の残業認める「奴隷法」に抗議するデモがあり、一部が暴徒化しました。日本の、今年4月に施行された「働き方改革」では、上限時間は年間720時間以内、1カ月100時間未満、対象月と直前の1カ月から5カ月を加えたそれぞれの各期間(2~6カ月)を平均した時間が80時間以内です。珍妙なことに、日本人は誰も怒りません。なんでだろ〜なんでだろ〜。

ルソーは不平等な社会が行きつく先を予想しています。

 専制政治は、このような無秩序と変革のさなかから、次第にその醜悪な頭をもたげ、国家のすべての部分において善良で健全なものと思われる一切のものを貪り、やがては法と人民を足で踏みにじり、共和国の廃墟のうちに、みずからの権力を確立するようになるだろう。この最後の変革にいたる時代は、混乱と災厄の時代だろう。しかしやがてはすべてが怪物に呑みこまれ、人民には法も首長もなく、ただ暴君だけが支配することになる。この瞬間から、いかなる習俗も美徳も意味をもたなくなるだろう。(略)奴隷たちに残された唯一の美徳は、批判せずに服従することだけである。

それ[引用者註=野生人]とは反対に、いつも何かしている都市の市民は汗を流し、たえず動き回り、もっとせわしない仕事を探して苛々しつづけるのである。彼は死ぬまで働く。そして生きることができるようにするために、ときには死に向かって突進することすらある。不死の命を求めて死ぬことだってするのだ。自分の憎んでいる権力者と、自分の軽蔑している金持ちに媚びへつらい、こうした人々に仕える栄誉を手にするためなら、どんなことも厭わない。自分の卑しさと、こうした人々からうける庇護を誇らしげに示し、自分の奴隷状態を自慢して、こうした奴隷状態に加わろうとしない人々を軽蔑する。

自然状態(野生人)と比較しながら、ルソーは文明の帰結を導きました。 ユートピアを出発した人間はディストピアへ行き着く。最後は、オーウェル『一九八四年』を想起させます。「自分の卑しさと、こうした人々からうける庇護を誇らしげに示し、自分の奴隷状態を自慢して、こうした奴隷状態に加わろうとしない人々を軽蔑する」って桜を見る会に集まる人たちのことかしら。

野生人の時代にはみんなに与えられていた自由をいかに取り戻し、幸せに生きるにはどうすればいいか、をルソーは『社会契約論』で示したのでしょう。私が狩猟採集生活を研究するのも、彼らを鏡にして自分ふくむ現代人や社会をとらえなおすためです。

なんか社会が息苦しい。もっと自由に暮らし、走りたい。

エデンの彼方

エデンの彼方

 
炭水化物が人類を滅ぼす 糖質制限からみた生命の科学 (光文社新書)

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多数決を疑う――社会的選択理論とは何か (岩波新書)

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一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)

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『激レアさんを連れてきた』石川佳彦選手

『激レアさんを連れてきた』という番組に、昨年のスパルタスロン優勝者・石川佳彦選手が出るとSNSで知り、見てみました。面白かった。フル以上の距離に適性のある人がいるんですね。毎日往復60kmの通勤ランってなんじゃ〜。

いつからかわからないけど、TVerで一定期間見られるみたいです。わたし『激レアさん〜』を知らなかったんですけど、予習として見た、先週放映の56時間漂流された人の話も面白かった。

悲しき熱帯

悲しき熱帯〈1〉 (中公クラシックス)

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悲しき熱帯〈2〉 (中公クラシックス)

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  • 作者: レヴィ=ストロース,Claude L´evi‐Strauss,川田順造
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短距離ランナー宣言したからって、1日10km平均くらいはゆるジョグしたいのです。狩猟採集民の男性は10〜15km移動する(ウォークも含まれる)と、ダニエル・E・リーバーマンは『人体六〇〇万年史』に書いてます。つまりそれが人間本来の運動量なのでしょう(半分くらい、という説もあります)。でも、土曜日の短距離ダッシュの筋肉痛がおさまらないので本日は休みました。雨だったし。

ここんとこ、時間をかけてレヴィ=ストロース『悲しき熱帯』を読んでいました。

20世紀を代表する「構造主義」の名作ですが、大学時代、何度かチャレンジして放り出したままでした。講談社学術文庫(タイトルは『悲しき南回帰線』です)は訳文が読みにくかったし、文学研究を志していた私にとって文化人類学の本を読むのは回り道に思われました。しかし狩猟採集民に興味があるといったら避けて通れないようです。今回は、中公クラシックスの川田順三訳にしました。平易とは言えませんが、構造主義の基本は押さえているつもりなので、さほど誤読してない気がします。

レヴィ=ストロースは二項対立からスタートして高次の真理に辿りつこうとします。フランスの文明人が、地球の裏側にいるブラジルの「未開人」を訪問する行為自体がそもそも二項対立的ではありませんか。彼は、南米のインディオや東洋(インド)を観察することで、西洋中心主義や進歩の絶対視を相対化します。

以下、レヴィ=ストロースがフィールドワークした狩猟採集民についてメモしておきます。

1930年代半ば、レヴィ=ストロースは南米で「未開人」を探して旅をします。道なき道を進み、トラブルを乗り越え、未開の部族に会いにいくのです。

とはいえ彼が遭遇した南米インディオはすでに白人との交流もあり、農耕もやっています。尾本恵市『ヒトと文明』の分類によれば、狩猟採集民の最終段階《大集落や大型建造物を造り、他地域の集団と物資の公益をおこなう「複雑な狩猟採集民」(コンプレックス・ハンター・ギャザラー)または「豊かな食料獲得者」(アフルエント・フォーレジャー)と呼ばれる集団》にあるようです。私が知りたい《非定住で遊動生活をおこなう古典的狩猟採集民》ではなかったのは少し残念です。

「複雑な狩猟採集民」または「豊かな食料獲得者」は、財産が増え、階級が生まれ、部族間での交易や戦争が起きます。事実、「未開人」との緊張を、レヴィ=ストロースは幾度も経験しています。1万年ものあいだ農耕し都市生活者となった白人は家畜やネズミなどが媒介するさまざまな病原菌に見舞われ、ある程度免疫ができていますが、狩猟採集民にはそれがありません。白人との接触によって未知の伝染病に罹り、絶滅の危機に瀕する部族もありました。

裸で抱き合ってふざけ合う、とても幸せそうな写真が載っているナンビクワラ族、彼らはいまどうしているのでしょうか?

70年後、朝日新聞の取材班が彼らを訪ねました(朝日新聞夕刊、2008年9月29日〜10月3日の5回連載)。先住民保護区に暮らす彼らは砂地で寝ていたそうですが、あたりにはブランコ(白人)の文明が押し寄せて動物がいなくなり、生活が一変。スーパーで買い物をしているそうです。白人と馴染む必要性を感じているけど、差別を受けているとあります。なにいってるんだ、土地はもともとインディオのものなのに。

古老の女性を取材すると、部族の歴史をこう語りました。

「ブランコが『進歩』を持ってきた。進歩と一緒に、病気や災いが来た」
「進歩は災いだけをもたらした」

それはまさに、レヴィ=ストロースが懸念していたことです。文明が幸せをもたらすとは限らない。

その古老はレヴィ=ストロースを記憶している、と言います。「我々の言葉を覚えようとしてくれた。ブランコには珍しい、いい人だった」とのこと。なんか嬉しい。

 『悲しき熱帯』の読書は長い旅でした。

注意してみれば、狩猟採集民に目をつけた哲学者はいて、ルソー『人間不平等起源論』、エンゲルス『家族・私有財産・国家の起源』、それにレヴィ=ストロース『野性の思考』なども読みたいのですが、今は脳味噌を休ませたい。読んだら、感想を書きます。そのときはまたつき合ってくださいませ。

短距離走の講習を受けてきました。

「短距離 練習会 大人」みたいな検索ワードであれこれ探すと、ある講習会がヒットしまして、土曜日に行ってきました。

初対面のコーチ、若くて速そう。私が大会の参加賞Tシャツを着ていたので、「(短距離の)マスターズに出られているんですか」と訊かれました。「あ、フルの参加賞なんですね」と気づかれましたけど、体つきを見て短距離志向だと感じられたのも、むべなるかな。遅筋に比べ太い速筋が優位と思われる私、10年くらいチンタラ持久走をやって脂肪は減ったのに見た目は細くなりません。脚が太いのはもう諦めました。シクシク。

5人限定の練習会で、参加者は小中学生3人と、大人2人でした。

この日の重点的なテーマは、フォアフット着地(短距離ではとくに踵着地はロスなんです)と、脚の引き戻し。長距離でも意識していることですが、短距離のダイナミックな動きについては発見がいろいろありました。

1時間半近くドリルをやったあとの全力疾走が下の写真です。

100mをやるなら、と以下の課題を指摘されました。腕は、頰につくくらいの高さに上げる。膝ももっと高く上げる。着地時に膝が重なっている点はいいけど、もっと脚を引きつけてお尻を叩くべし。腕を顔まで上げることのココロは、腿を高く上げると身体が振られるから、逆側の腕振りで調整するのだそうです。

褒め上手なコーチで、あまり厳しいことは言われなかったんですが、コーチのフォームを見せてもらったら、自分の欠点がよくわかりました。

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桐生選手のしなやかな動きを真似してみます。

後ろに振りながら、腕が内旋しているのは、どんな意味があるんでしょうか。

 

大相撲は伝統か?

私は以前相撲ファンでした。輪湖時代から見始め、千代の富士全盛期や若貴ブームのときは、もっぱら広島出身・安芸乃島を応援していました。野見宿禰・当麻蹴速から始まる相撲の歴史も大好きで、本をたくさん読みました。

同時に、八百長関連の本や雑誌記事も大好きでした。テレビ中継見ながら「これも注射か?」と呟きながら楽しんでいたものです。好角家であることと八百長の話題を楽しむことは私のなかで矛盾していなかったのです。相撲は純粋なスポーツではなく芸道のひとつですからね。日本の互助会的八百長システムに関していえば、ある意味日本社会の縮図です。

2007年、日本相撲協会が八百長を報じた「週刊現代」を訴えました。あれだけ証拠を揃えて記事を書いているんだから藪蛇。むしろ八百長が明るみに出てしまうのでは……と注目していたら、協会が勝訴しました。それこそ八百長のような判決に驚きました。

興醒めした私は、以来、相撲ファンをやめました。中継も見ていません。

4年後、野球賭博問題で押収された携帯電話に残っていたメールから、大相撲の八百長が発覚します。ほらね。ただし協会は上記判決を盾に2007年以前は八百長がなかったと主張。判決後に、急に八百長が始まったらしい。

理事長として不祥事の収束を任されたのがガチンコ力士の放駒親方(元魁傑)でした。見事な人選ですが、放駒親方はその役目を負ったため健康を損なったとも聞きます。

ところで。スリッパの話題を耳にしました。

先日、トランプ大統領がスリッパで土俵に上がったことに対し「国技の伝統が破壊された」という人がいるのです。過去、政治家が土俵に上がるときもスリッパですし、行司や呼び出しは草履や足袋です。アマチュア相撲のレフェリーは上履きみたいなのを履いているはず。土俵が裸足限定なんてことはありません。

そもそも角界の伝統ってなんでしょうか。

「相撲は国技」と信じられていますが、そんな法律はありません。日本相撲協会は公益法人です。明治の終わりに作家・江見水蔭が相撲を「国技」と書き、それに想を得た人が相撲の競技場を「国技館」と命名しました。自称・国技なんですね。

「相撲は神事」は、まあ、そうでしょう。しかし、江戸時代には寺社でおこなわれた勧進相撲は興行の意味合いが強かった。多くの相撲団体があちこちで興行を打ち、昭和初期まで女相撲もありました。いまの日本相撲協会は、天覧相撲をおこなったり、自分たちを国家神道と結びつけることで、一種の神格化を図りました。神事を強調することは生き残り戦略だったといえます。

「相撲は伝統」と言います。古くからあるという点では伝統かもしれませんが、ずっと同じではありません。むかし「立ち合い」は文字通り、互いに立って競技を始めました。かつては丸ではなく四角い土俵が主流でした。制限時間はなかった。四本柱は、戦後取り払われ、吊り屋根になりました。まわしは黒と紺だけでした。

したがって、古今不変の伝統を見いだすほうが難しいんです。大相撲が国技で神事で伝統だ、とは相撲協会やメディアが創造した壮大なフィクションです。

角界が最後まで死守する「伝統」はおそらく女人禁制です。昨年4月、倒れた舞鶴市長を救うため土俵に上がった女性に対し、行司が土俵から下りるよう促したことが話題になりました。大相撲春巡業「富士山静岡場所」で、女の子が土俵に上げてもらえなかった、というニュースもありました。前述のとおり、かつては女相撲があったのにね。

日本相撲協会はなぜ女人禁制というのか?

相撲協会は「土俵は神聖なる場所であるため」と説明しているそうです。

意味がわかりますか?

私はどうせならトランプに「メラニア(夫人)と土俵に上がる」と言ってほしかった。絶対にノーと言わない安倍首相はそれを吞み、日本相撲協会に強要するかもしれません。協会が合意すればダブルスタンダードです。もし拒否するならば、合理的な説明しなければなりません。「土俵は神聖なる場所じゃわからん。どうして女は入れないのか」と詰め寄られれば、前近代的な例の理由を言わなければなりません。
 
  「女は不浄だから

 
ああ、伝統ってなんだろう。大相撲ってそんなにすごいのか?