狩猟採集民のように走ろう!

狩猟採集民について学びながら、現代社会や人間について考えるブログ

萩往還のダメージ、その後。

 萩往還マラニック250km完踏のあと、うすらぼんやりと過ごしております。昼夜逆転型の私ですが、ここんとこわりと早寝早起きです。大会後、1週間くらいはお腹が空いてしかたなく、むやみやたらと食べていた気がしますが、体重は許容範囲……というか減少傾向。今朝の体重は60.5kg。体脂肪率7.8%でした。
 倦怠感や筋肉痛はほとんど消え、きのう14日(日)は、ママチャリ駆って多摩丘陵の坂道をガンガン登ってみました。大丈夫でした。
 右足の拇指の付け根というんでしょうか、横アーチの内側部分あたりの皮膚がめくれて化膿しています。違和感のあるソックスを脱ぎ、素足でシューズを履いた代償です。暑さによりシューズ内の温度が高くなったことも傷を悪化させたのでしょう。膿んでむず痒いなんて子供のころ以来で、なつかしくもあります。もう少しで治るかなあ。カサブタになっている傷もたくさんあります。
 大会が終わって1週間くらい萩の往還道を走る夢を毎朝見ていました。それもなくなり、ようやく通常に戻れそうな気分。
 そろそろ秋冬に向けて再始動です。

萩往還 完踏率

 ナイキのBreaking2の話など書きたいことあれど、まだもう少し萩往還マラニックの余韻にひたってぼんやりしていたい。仕事はせっせとやってます。

 さて、第29回山口100萩往還マラニックのリザルト(速報)が出ていました。
 各部門の完踏率は下記のとおりです。

  完踏率 完踏/出走
250kmの部 51.6% 295人/572人
140kmの部 55.7% 327人/587人
070kmの部 78.1% 406人/520人

 猛者が集まるからか250kmの部はたいてい140kmより完踏率が高いんですが、今年は逆転していました。例年より参加者が100人くらい多く、250km初挑戦の割合が高かったからかもしれませんし、140kmの部がスタートする前の5月3日が暑かったからかもしれません。私はぼんやりしていたせいで初日と2日目の体感温度を比較できないのですが……。私は走れなくなった2日目の昼に、熱中症の危険を感じ、何度か水を浴びました。

 下の表は過去5年の完踏率。ブルーは、私が参加した部門です。2014、2015年は参加していません。

  2017 2016 2015 2014 2013
250kmの部 51.6% 58.8% 47.5% 57.8% 63.5%
140kmの部 55.7% 56.7% 39.4% 58.3% 59.1%
070kmの部 78.1% 81.9% 82.4% 83.8% 88.1%

 2015年は、140kmの部がスタートした夜がたしか土砂降りで、そのため完踏率が低くなっています。2016年は250kmの部が大雨に見舞われ、距離が少し短縮されました。
 萩往還に関しては、私は晴れ男で、今回、最終日の朝ににわか雨に見舞われた以外は晴れていました。もちろん暑さもリスクではありますが、装備が軽くてすむという点では恵まれています。
 各部門を一度でクリアできたのは幸いでした。来年は応援にまわります。

萩往還ウルトラマラニック250km参戦記(3/3)

萩往還マラニック参戦記(2/3)から続く】

5月4日(火)0時〜

どなたかが「宗頭文化センターを0時に出れば全部歩いても完踏できる」とブログに書かれていました。異論もあるようですが、その説を信じることにしました。

数人まとまって藤原商店を左折。大通りに出るまでの上り坂は真っ暗です。1人だったら心細かったでしょう。この夜はずっとMくんと走りました。

月がぼやけていた前日と違い、今夜は星が綺麗に見えます。

三見駅CP(188.6km)からしばらく暗い道をくねくね走ります。

見知らぬ参加者がMくんと私についてきました。3人になるのは別にかまわないんですが、そのランナーが一方的に喋りつづけるので、口を封じられた私たちは眠気に襲われフラフラです。

住宅街が近づくと、見知らぬ同伴者はさっさと進んでいきました。私はMくんとともに女性二人がやっている私設エイドでコーヒーをいただき、やや復活。じつは──事前にきちんと予習してない私は知らなかったんですが──三見駅CPからここまでは何度も踏切を横切るせいかお化けが出るという噂があるらしいのです。さきほどの参加者は、ひとりでお化けエリアを進むのがイヤで、私たちと行動をともにしたのか。おしゃべりを聞き続けるのはつらかったなあ。玉江駅エイド(195.5km)までは、その晩いちばんのスピードで駆け抜けました。

以降は140kmの部のコースと合流します。大好きな黎明の萩市街です。

虎ヶ崎CP(207.4km)に到着したときは朝6時半をまわっていました。椿の館で、私は3年ぶりにカレーの大盛りを、胃をやられたというMくんはうどんを食べ、軽装になって7時にスタートしました。

結局、昨夜もあたたかく、私は半袖+長袖+うすいジャケットと短パン程度で走りました。二晩ともグローブは不要でした。

Mくんとはここで別行動に。足を痛めている私は彼にやや遅れて虎ヶ崎の短いトレイルを走ります。石を踏むと傷だらけの足裏が悲鳴をあげました。

金照院CPに向かう途中、毎週50km走の練習をして140kmの部に臨んだ同級生や、ギリギリで完踏をめざす250kmの部の知り合いとすれ違います。みんな頑張ろう。

にわか雨に見舞われたあと、今日もカンカン照りになりました。陶芸の村CPを過ぎたら、70km、35kmの部とすれ違います。陶芸の村を降りかけたところに70kmの部の1位の選手が颯爽と走ってきました。トップランナーのタイムからしてつまり午前8時半くらいだったのでしょう。

「足首が赤くなっていますよ、大丈夫ですか」と後続のランナーに指摘されました。「歩きながら日焼け止めを塗ったので、塗り忘れたところが灼けたんでしょう」と答えましたが、かなり浮腫んでいたのですね。

5月4日(水)?時〜

このあたりから記憶があやふやです。70kmの部、歩け歩け35kmの部のみなさんとすれ違うたびエールの交換をしました。

往還道では三つの峠を登ります。一升谷は難所ですが、上りは結構すすめました。難儀するのは下りです。筋肉のダメージより先に足裏が次第に衝撃に耐えられなくなり、下りどころか平坦な道も走れなくなってきました。小石はもちろん、雑草を踏んだりしてもイテテッと声が出ます。

寝不足のため相変わらずぼんやりしていて、橋を渡るときなど、川に吸い込まれそうになるためなるべく真ん中を歩きました。怪我だけはしたくない。

あれはどこだったでしょう。Mくんが休んでいます。「一緒に行こうよ」と声をかけたはずですが、彼は「足が止まった。完踏は無理かもしれない」と言います。その後の会話は詳しく記憶しませんが、私はダラダラ歩きつづけました。

進みながら考えます。ベテランのウルトラランナーの多くはズルッ、ズルッと摺り足で走ります。早歩きも摺り足です。そのたびブレーキがかかりますが、着地衝撃が少ないことも事実の一面です。私もMくんもマラソンのときと同様、摺り足ではありません。しかしバネを活かして起伏やトレイルのある超長距離を走りつづけるには、私たちが履いていたアディゼロ Japan boost3 は薄すぎたのではないか。次に走るなら HOKA One One でも試してみるかな。走らないけど……。

右足首痛が出てきて底屈しにくくなりました。踏みこむとズキッと衝撃が走ります。

佐々並エイド(236.8km)で10分仮眠をとろうとスマホのタイマーを設定。エイドにいた中学生に「タイマー鳴っても起きなかったら起こしてね」と頼んで眼をつむってみたんですけど、やはり寝られません。しかたない。あと一山15kmがんばろう。一歩一歩進めばそのぶんゴールに近づくのです。

4年前に70kmの部を走った自分は、250kmの部の選手を全員尊敬しながら見ていたのです。だから今日の自分は完踏するだけでいいじゃないか。

完踏して、4年前の私にメダルと完踏証を見せてやろう!

「自分にそんなことができたのか」って当時の私は腰を抜かすはずです。それに、もしリタイアしたら、来年もう一度やることになります。

こんなこと二度とやりたくない。這ってでもゴールするぞ。

幻覚は続いてます。長いロードで、お日さまに照らされながら、私は白昼夢を見ているのでした。具体的に記憶していませんが面白い夢が次々浮かぶんです。半分覚醒しているせいでしょう、幻覚って怖いもんじゃないと知りました。ウルトラトレイルランナーに元ジャンキーがたくさんいるのが理解できます。

道に落ちた笹の葉などのランダムな模様は全部文字に見えるんです。宇宙人が私にメッセージを伝えているのだな。前の若者が同じようにフラフラしているので話しかけると、彼も夢ごこちでした。

(……この段落は広島弁)板堂峠を登っとるとのお、あれじゃあれじゃ、前方にS食堂のIさんと、今年はエイドにまわった同級生が見えるじゃろ。予告どおり私設エイドを出してくれとるんじゃわ。あとで聞きゃあの、「気いつけいよ。わしの周りにいろんなものがおるでえ」と言いながらわしは彼らに近づいたそうなんよ。(広島弁終わり)

コーヒーをご馳走になってからさらに登りました。15時くらいかな。上りが終わって下りの石畳にかかりますが、無念です。足裏と足首の痛みで歩くのが精一杯。石畳に浮かぶ顔と、葉っぱでできた秘文字を見ながらよちよち歩きです。

やっとアスファルトに出ました。しかたねえ、こちとら歩きよ。

ウエーブスタートで21分後に走り始めたため、17時20分までに着けば46時間台の記録となります。速かないけど血だらけの足で完踏するんだから今日は勘弁してやろう。

ゴールまで数百メートル。最後のコーナー前後から、沿道に人があふれて応援してくれるので、いちおう走るふりをします。「ラスト走って〜」には「歩きたいよ〜」、「来年も来てね〜」には「歩け歩け35キロに出るよ〜」など、声援に減らず口たたいて応じているうち一瞬ウルっときましたが、ハイタッチで忙しく感傷はかき消されました。

香山公園に入ると同級生たちやS食堂のIさんが迎えてくれます。

毎年ゴールシーンは撮影されるんです。残り少ない瞬発力を振り絞ってジャンプ。ちゃんと写真におさまっているかな。

メダルをかけてもらいました。完踏証を見ると46時間50分台。みんなのところによろよろ寄っていき、メダルは「お店に飾ってください」とIさんに進呈しました。完踏証とCPシートは宝物にします。

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4年前の私、この完踏証を見よ!

ベンチに座っていると、徐々に知り合いのランナーがやってきました。もしかするとリタイアしたんじゃないかと思っていた知り合いも見えます。パッと立って出迎えられないのがもどかしい。

あっ、Mくんもやってきた。私がフィニッシュできたのは半分彼のおかげです。

みんな、おめでとう

5月4日(水)18時〜

ひとくち飲んだとたんひっくり返って寝てしまったというエピソードも聞くので、ビールは打ち上げまで控えました。60時間くらい寝ていません。足を引きずりながら荷物をピックアップし、ラン仲間の車で湯田温泉のホテルに運んでもらいました。

チェックインのあと部屋に入り、血で固まったソックスをメリメリ剥がしました。足首から先がフグ提灯みたいに腫れあがっています。心配していた足裏を覗き込むと、余計な皮膚は剥がれ、くっつくものはくっつき、見た目は思ったほど悲惨ではありません。化膿している箇所はあるものの血だらけのドロドロではないのでした。日焼け止めが合わなかったのか、(翌朝ほとんど消えましたが)太腿の前面に発疹が赤く広がっています。そこにも人類の秘密を解き明かす文章が綴られているのでした。世の中は暗号に満ちている。ただ、読み解こうとしないだけだ。

シャワーを浴びたい。トイレにも行きたい。しかし、ユニットバスの30センチ程度の段差をなかなか上れません。困ったぜ。

苦労してシャワーを浴び、時間をかけて着替え、徒歩2分のお店まで10分以上かけて歩きます。駐まっているはずの車がグングン大きくなって迫ってくる。まだ幻覚が続いているのだな。飲む前に轢かれてたまるか。

すでに始めていた10人くらいの仲間に割り込んで、ビールを注文。

おや、壁紙の模様や刺身のツマにも地球の先住人が残した暗号が書かれているのだ。

乾杯!

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萩往還ウルトラマラニック250km参戦記(2/3)

萩往還マラニック参戦記(1/3)から続く】

5月3日(火)0時〜

最初のチェックポイントである豊田湖畔公園CP(58.7km)に到着したのは1時50分くらいだった模様。ペースは上がりませんが、前後に人が多く、ひとり旅にならなかったのはありがたかった。軽食摂って、水を補充して走ります。足裏の痛みはどんどん増しますが、まだ走れるのだ。

これしきでエントリー料3万8千円をフイにしてなるものか。

最初の夜に仮眠をとる人は少ないと聞いています。周りのランナーと会話しながらやや急な下り坂を走っていたら、真横でドサーッと音がしました。振り向くと、ランナーがヘッドスライディングし、ザックの中身が前方に飛び出しています。

「大丈夫?」と声をかけたら「はい、大丈夫です。寝てました」と返事しながら、立ち上がってザックを拾いに行きます。かかる場合、みんな反射的に大丈夫だと言うんだけど、平気じゃない場合もあるよなあ、と心配しつつ、下りの勢いのまま通り過ぎてしまいました。

約80kmの新大坊エイド(下の写真)では、「車道をふさいだランナーがいたので警告を出した。みなさんも注意してください」と、大会スタッフから指示。

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87kmの油谷中学CP(下の写真)に着くころは夜が明けていました。リタイアを宣告する人がちょいちょいいます。まだまだ時間があるのに、みんな簡単に「やめます」というのが不思議でした。

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預けていた荷物から必要なものを取り出します。近くの食堂で梅干しを何個も入れておかゆを食べ、再スタート。後方からMくんがやってきました。彼は計画的に休憩を入れているらしく、前にいると思っていたら後からやってきたことが何度もありました。

足の痛みもあり、この辺りではだんだん走れなくなり、ウォーク率が高くなっています。早朝だけどすでに暑い。半袖短パン姿です。

スタートしてから約13時間。つまり朝の7時20分くらいでした。ちょうど100kmあたりで大失敗をやらかしました。98.5kmの俵島CPを見落としていたのです。一緒に進んでいたランナーに確認し、トボトボ戻ることに……。140kmの部を走った時も、約6kmロスしたんですよ。やはり100kmくらいのことでした。逢魔が時ならぬ逢魔が距離ですな。

今回はタイムを狙わないこともあり、「いいネタができた」くらいに感じていました。逆走していると、みんなから「どうしました?」と不思議がられます。「チェックポイント見逃しました」と照れ笑いを浮かべると、気の毒がられたり呆れられたり、なかには「ダメじゃないか」と叱られたり。「前回、ぼくもここでやっちゃったんですよ」という方もいました。Mくんともすれ違いました。

1.8km戻ると、「俵島」と大書された看板と、チェックシートに押すパンチがありました。たしかにさっきもこの看板は見たんです。女性ランナーが立ち止まってスマホで撮影していたので、「なんでこんなもの撮るんだろう?」といぶかしく思いながら通り過ぎたんですよね。つまりボーッとしていたのです。往復3.6kmのロス

足裏が麻痺していたのか、わりと走れる時間帯で、きつめの下りも平気でした。ただ、日頃から傾斜に応じてスピードを上げて降りるのが癖になっています。ブレーキをかけてゆっくり下っても、バンバン足を打ちつけても大腿四頭筋にダメージが残るでしょう。このあたりの加減がわかりません。

晴れて、かんかん照りでした。暑くて周囲が眩しい。サングラスが必要だったか。

5月3日(火)12時〜

立石観音CP(117.8km)から、東京からのウルトラランナーと併走することになりました。今回で10回目なんだそうです(今回完踏したら、翌年表彰されます)。さすがに道に詳しく、的確に誘導してくださるので思考を節約できました。感謝です。ウルトラについてもいろいろ伺いました。

途中、津黄竜宮の潮吹という名所に向かう車の渋滞ができていました。歩道がしっかり確保されていない狭い道で、渋滞が起きている逆側を走るんですが、わずかなスペースを縫うように車が追い抜きます。寝不足でふらつくランナーが引っかけられてもおかしくありません。

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千畳敷CP(125.4km)に向かう激坂はすごかった。ローギアベタ踏み級の真っ直ぐな道が空にむかって続いています。12時45分くらいに千畳敷CPに到着。風が強く、風力発電の風車がびゅんびゅん回っていました。

足の調子が悪くなり、ご一緒した上記のランナーとは日置エイド(131.2km)で別れました。そこからは、100歩走って30歩歩いたり、50歩進んで15歩歩いたり、と、ひたすらラン&ウォークで前進。

湯本温泉CPに右折する直前のセブンイレブンでソックスを購入しました。ひさびさに足の状態を見ると、あちこちむけた皮膚が痛々しい。穿いたソックスに、すぐに血がにじみました。シューズに足が入りづらいのはソックスが厚いせいではなく、すでに浮腫みはじめていたのでしょう。ソックスさえ履けば痛みは軽減されるんじゃないかと期待していましたが、さにあらず。一歩一歩、ジンジン痛みます。またしても50歩ラン+15歩ウォーク、50歩ラン+15歩ウォーク……。

エイド&ゼッケンチェックの仙崎公園前(152.2km)を過ぎると、青海島・静ヶ浦キャンプ場の往復12kmが始まります。昨年は悪天候のためカットされたエリアです。いやはや、こちらもかなりのアップダウン。山口県って坂しかないのでしょうか?

写真は青海島の海岸沿いから、法瀬の鼻という場所を臨んだところだと思います。綺麗な景色をじっくり見ないで進むなんて勿体ないなあ。

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静ヶ浦キャンプ場のエイドで大盛りカレーを食べていると、Mくんが現れました。日が落ち始めたので、重ね着してヘッドライトを装着し、私は一足先に再スタート。

ふたたび仙崎公園前でゼッケンをチェックされ、いよいよ仮眠できる宗頭文化センター(176.2km)に向かいます。しばらく暗い道を1人で行きました。地図を見ながら歩くと、足を踏み外し、道脇から40〜50センチ下の、葦らしきものが生えた草むらに落下しちゃいました。右足を着地したあとよろけます。尖った茎でブスッとやったらリタイアだなと覚悟。手をついたあとドサッと身体ごと転びましたが、さいわい無傷でした。お恥ずかしい。前後には誰もいなかったようです。

スタートから26時間くらい経ったでしょうか。広島で目覚めたときから考えれば37時間寝てないことになります。

このころから、幻覚が始まりました。アスファルトに引かれた白線が劣化して、たくさんの亀裂が入っているのですが、その模様がすべて人間の顔のつらなりに見えます。途中で私を抜いたMくん(彼は厳格ではない)がコンビニで休んでアイスを食べています。声をかけて数キロ一緒に走りました。あれ、私の真横にもうひとりの私が走っています。あんた、誰?

やっとこさ宗頭に着いたのはジャスト22時

いろんな方からの情報を綜合して、なんとか21時くらいまでには着きたかったので、少し遅いと感じていました。周囲から「昼間暑すぎて例年より距離を稼げなかった」という会話が聞こえてきます。

1度座ったら立つのが難しい状態。いうことをきかない身体にムチ打って荷物の整理を終えたら22時50分になっていました。

宗頭文化センターの2階の大広間で30分ほど仮眠するつもりでした。隣で横になったMくんが一瞬寝息をたてたあと、私もめまぐるしく展開するシュールな夢を見ましたが、スマホを見れば5分と経ってないのでした。いびきや、誰かが荷物を整理する周囲の音が聞こえ、もう眠れません。隣を見ればMくんもスマホを見ていたので、声をかけて1階で軽食を摂りました。準備をしていた数名でまとまり出立したのは23時45分くらいです。

萩往還マラニック参戦記(3/3)に続く】

萩往還ウルトラマラニック250km参戦記(1/3)

第29回萩往還マラニック250kmの部に参戦しました。以下、どなたかが作ってくださったルートマップをご参照ください。

長々と書きますが、どこに何時何分に着いたという詳細や、エイドの食事の写真などがほとんどないので参考にならないかもしれません……あらかじめお断りしておきます。

萩往還250kmの踏破は、心のタスクリストに太字で記載していたんです。2017年と18年の2大会をもって終了するという話を聞いて背中を押され、挑戦を決意しました。250kmの部を完踏しないうちに大会がなくなったら後悔するはずですから。

この1ヶ月くらい仕事が立て込んでいました。それに、5月1、2日は連休の谷間の平日。その2日を空けるため、毎日明け方まで仕事しました。5〜7時に寝て10〜11時に起きる生活。ふだん昼夜逆転型ですけど、いつもより長く起きていました。萩往還は二晩徹夜で走るようなものですから。寝ない練習と考えていました。平日あまり走れないのはストレスが溜まりました。

5月1日(月)大会前日

スタート前日。萩往還の70kmや140kmの部にエントリーした、同級生はじめ8名くらいでプレ飲み会をやりました。会場はサブスリーランナーIさんがやっているS食堂。Iさんは昨年250kmに参戦して残念ながらリタイアされています。今年はエントリーせず、われわれをサポートしてくださいました。

広島県の郡部出身の私は実家に寄らず広島市内のホテルに泊まりました。

250kmの部のスタート時間は2日の18時、140kmの部は3日18時、70kmの部は4日の朝6時。山口県庁近くの瑠璃光寺・五重塔前(香山公園)をスタートし、各部4日の18時までに戻ります。ほかに歩け歩け35kmという部門もあり、4日6時にスタートして、70kmの往路にあたる35kmを踏破したあとバスで帰ります。

私は70kmの部を4年前、140kmの部を3年前に完踏。ただ、その後2年間ご無沙汰していました。事情によりウルトラには積極的でないので、萩往還の140kmのほかに100km以上の大会を走ったことはありません。時間を度外視すれば長い距離に抵抗はありませんが、知り合いを見る限り、初参加時にはリタイアが多い。それが不安材料のひとつでした。

5月2日(火)スタートまで

レース当日の朝は、少し酒が残っていたので水をがぶ飲みしました。スタートが18時なので平気でしょう。250kmの部を走る知り合いのMくん(彼もサブスリーランナー)の車に同乗させてもらい、山口入りしました。お昼前には受付や食事、着替えをすませました。

15時からの説明会で印象に残った話のひとつを紹介しますと……。

前回の大会で「わたしギリギリまで頑張れるんです」という女性が入院してしまった例を挙げ、大会委員長は次のようなことをおっしゃいます。「限界まで無理して頑張る必要はありません。70キロの部の人にとって、白ゼッケン(250kmの部)のランナーは全員神々しいんです。スタートするだけで誇っていい。たまたま体調が悪くて第1チェックポイント(以下、CP)でリタイアしたって私は充分立派だと思いますよ」

なるほどそうだった。4年前、70kmの部を走った時は、山から転がるようなスピードで駆け抜けていく速い人も、意識が朦朧として歩く人も区別なく、250kmの参加者はみんな超人に見えました。あの日の私には信じられないでしょう。自分は胸に白ゼッケンをつけているのです。

説明会場やスタート地点で全国から来た知り合いと再会して、声をかけあいました。

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5月2日(火)スタート。18時〜

いよいよ、18時からウエーブスタートです。

私は最後から2番目のグループで、約21分遅れてエイエイオー。瑠璃光寺の五重塔が見える香山公園から走り始めました。ほどなく前のグループでスタートしたMくんに追いつきます。彼は余裕を持って制限時間いっぱい使うプラン。一方、私は例によってノープランです。Mくんはコースの予習が完璧で、以後助けてくれることになります。フラットな川沿いをゆるゆる走ると、だんだん日が暮れていきました。

最初の上郷エイド(13.2km)でMくんと別れます。じつはすでに身体が重く、人と走る状態ではなかったのです。とくに左のハムやお尻が痛みます。カーフガード、ソックスともに、過去にレースで使ったモデルですが、この日はなんだかしっくりこない。それらを順に脱ぐとラクになりました。が、素足でシューズを履いたため、すぐに右足裏の皮が剥けて出血。さらに左足の甲や足裏もズルっと剥けました。無視していましたが、だんだん痛みがひどくなります。まあいい。全身だるくなって足の痛みが目立たなくなるのを待つことにしました。

なんだか風邪っぽい気がします。半袖+短パンだったのですが、長袖やウインドブレーカー、ロングパンツなどを重ね着しました。半袖姿で夜通し走った方もいたので、明らかに私は厚着でした。

体調がよくないのかなあ。

すでに目標は「リタイアしないこと」になっています。

萩往還マラニック参戦記(2/3)に続く】

シューズの減り具合メモ。

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左=adidas adizeroJAPAN boost3(27.0cm)650km。
右=ASICS ソーティマジックRP3(27.0cm)155km

アウトソールの状態をメモするのは2度目。使用距離を見ると、足裏を確かめたくなる時期も摩耗具合も前回とほぼ同じなんだなと思う次第。
ところで、ソーティRPって、2と3ではアウトソールのパターンが違うんだ。なんか違うなあと感じていたんです。個人的には前回のほうがよかった。(ほんとにわかってんのか?)