狩猟採集民のように走ろう!

狩猟採集民について学びながら、現代社会や人間について考えるブログ

2017年、あけましておめでとうございます。

 あけましておめでとうございます。

 仕事を積み残しているのでスッキリしませんが、気分にかかわらず新年はやってきます。大晦日も元日も吞んだくれました。休みと決めた日は徹底的に弛む作戦です。
 ただいま2日。ぼちぼち仕事を始めました。
 走り初めは明日です。^^

 元日はお昼まで寝ていたので、ニューイヤー駅伝は最後だけ観ました。
 旭化成が18年ぶりに優勝。村山兄弟、市田兄弟の双子二組が走ったそうです。宗猛総監督ももちろん双子。
 双子ランナーがなぜ長距離界で力を発揮するのか、に関しては、「互いに切磋琢磨できるから」とか「相手を通じて自分を客観視できるから」などと聞いたことがありますが、それならほかのスポーツでも双子の優位性が活きるはず。モハメド・ファラー選手は、8歳のときに生き別れた双子の兄と再開した、と2年くらいまえに報じられましたが、となると、ファラーは兄弟の二人三脚で強くなったわけではありません。双子ランナーが持久走で活躍する背景には、もっと生理学的な理由がある気がしますが……。

 本日は、箱根駅伝の往路の日。5区だけ視聴しました。
 私は箱根駅伝を観る習慣はありません。22歳になるまでテレビ中継がなかったからだと思います。母校を応援することもありません。
 ただ、某大学が勝つか負けるかで新年の仕事の内容がほんの少し変わるものですから結果は気になります。青山学院大学の5区の選手が、私と同じ町の出身と知り、にわかファンになりました。出身大学の帰属意識は希薄なくせに、出身高校や広島出身の選手は応援したくなります。原晋監督も広島県出身です。
 ともかく往路が無事に終わってよかった。テレビ局も箱根ファンも、内心トラブルを期待しているんじゃないかと思うことがあります。ケガや脱水で失速したり、もうちょっとというところで襷がつながらないといった「ドラマ」が起きたら視聴率は跳ね上がるんでしょうし、ニュースでも映像が繰り返し流れます。とはいえトラブルは起きないに越したことはない。
 復路もみんな無事で、実力を発揮されんことを祈ります。明日、彼らが箱根路をキロ3分で走っているころ、私はキロ5分半で多摩川を走る予定です。

        

 ひとが頑張っているのに自分がボンヤリしてちゃいけませんよね。
 2017年の自分のこと。
 毎月400km走っていたのを、いまは300kmに減らしていますが、今後はジョグを極端に減らして、週3回のポイント練習のみにしてみようと思います。平日2回スピード練習&週末ロング走といった感じです。絶対的に足りないスピードを底上げするのが目的です。
 萩往還があるので4月はロング走をたくさん入れますけど、それ以外は心肺強化に努めてみます。
 スピード練習は坂道ダッシュ(上り、下り)、インターバル(400mを10〜15本とか、1,000m5〜7本など)、ビルドアップ、レペティション、ペース走などを組み合わせる予定。うまくいくかどうかわかりませんが、なんちゅうか、人体実験です。
 走らない日は、筋トレやストレッチにあてます。疲労抜きの研究もしなくちゃ。
 では、また更新します。

いつもこの日は……12月24日の日記。

 水曜日(21日)にぶつけてしまった太腿前面は、アザにこそなってないけど、案外痛みました。2日間休み、天皇誕生日でお休みだった金曜日夕方に走り始めたものの、着地のたびに大腿四頭筋が痛みます。平坦な道しか走れず、ジョグペースで20km。

 翌土曜日は、17時スタート。
 ぶつけた箇所よりも、やや内側の膝寄りに痛みが移動した感じです。少しは恢復している気がします。平坦なところは飽き飽きしたので、7キロくらいから緩い坂道を昇って降りてきました。
 約2時間、18km走ったんですが、すれちがったのは学生らしき男性2人だけ。歩く人も少ないんです。「みんな昼間に運動を終わらせたのかなあ。それとも世間に何かあったんかなあ?」と不思議です。しばらく考えたあと、クリスマスイブに思いいたって納得しました。例年、この日はランナーが少ないんです。
 数年前のクリスマスイブ、すれ違ったランナーは1人だけでした。それが若い美ジョガーでして。互いに視線を交わすことなくすれ違ったんですが、見知らぬ女性と秘密を分かち合った気がした……ということにしたのでした。

 クリスマスイブといったら、キリスト教徒でないかぎり、「子供がケーキ食べてプレゼントをもらう日」だから、うちとは関係ありません。
 帰宅後、妻に「夕飯はなに?」と言うと、「水餃子よ」と返します。
 食後少し仕事して、焼酎のお湯割りをすすりましたとさ。

痛てて。……12月21日の日記。

 昨晩のこと。多摩川沿いをジョギングしていました。19時くらいでも、冬至の1日前だから真っ暗です。見慣れないイルミネーションが目につきました。近づいて見てみようと方向転換したら、

 ガツン!

 右腿前面に衝撃。しばらく悶絶しました。
 木の手すりの端っこに右腿前面をぶつけていました。
 暗がりにまぎれてよく見えなかったんですね。
 そこから2キロほどゆっくり走ってみたところ、右足を接地するたびに衝撃が走ります。大腿四頭筋が衝撃を吸収してくれるということはようくわかりました。
 方向転換するときスピードを緩めたので、歩くようなスピードだったんです。「あの速度での打撲なんだもの、すぐに治まるだろ」とタカをくくり、いちおうアイシングと湿布で対処しましたが、1日経っても痛みは引きません。
 しばらくジョグだなあ。
 みなさんも暗がりランにはお気をつけくださいまし。

『日本のマラソンはなぜダメになったのか』感想

歴代のフルマラソン日本最高記録保持者である(以下敬称略)宗茂、瀬古利彦、中山竹通、児玉泰介、犬伏孝行、藤田敦史、高岡寿成のインタビュー集です。

ひとりにつき一章割いて、当時の練習法、現在のマラソン界への提言が披露されます。お風呂のお伴に、1日1人か2人ずつ読みました。

私は駅伝を重視しているかぎり日本のマラソンの将来は暗いと思っています。日本の中長距離界はガラパゴス化していて、その最たる証拠が「日本人1位」なる単語でありましょう。マラソン中継でも、私は後方で駆け引きする日本人よりアフリカ系のランナーに注目しています。

そんな私でも、過去、日本最高記録を叩き出したランナーの考え方を読むのはやはりとても面白かった。

1965年生まれの私が子供のころ、世界に伍する選手だとワクワクさせてくれた3大アスリートは王貞治、具志堅用高、そして瀬古利彦でした(次点は縄跳びの鈴木勝己かな)。瀬古選手のレースは面白かった。宗兄弟やイカンガーにぴったりくっついて、トラックに入ってから見せるラストスパート! じつにテレビ向きな勝ち方でした。

宗兄弟や瀬古に翳りが見えはじめたころ、中山竹通という傑出したスピードを誇る選手が現れます。1985年のワールドカップマラソン広島大会で、中山選手は2:08:15(当時の日本最高記録)の2位になりました。私はたまたまレースを沿道で応援していました。

その後、何度か記録が塗り替えられ、2002年に高岡寿成選手が2:06:16をマークしましたが、その記録がいまだに破られないばかりか、2時間6分台の選手すら出ていないのはみなさんご承知のとおりです。アフリカ勢はどんどん記録を伸ばしていますが……。

日本マラソンの練習法は、宗兄弟や瀬古が確立した基本を軸に、後続の選手が練習の意味を考え抜き、自分の個性を伸ばすため工夫を重ねたとわかります。中山をのぞく6人の練習メニューが公開されていますが、月間距離も内容もすさまじい。ハイペースの40キロ走が当たり前だったことにも驚きました。彼らは人一倍練習し、失敗を糧にして記録を樹ち立てたのです。

悲しいかな、それら練習法の伝統は途絶えてしまったようです。たしかに非科学的な根性論にも見えるんですよね。しかし正しい科学的トレーニングに最大公約数的な正解もがあるわけじゃないんです。ケニアのカレンジン族は宗や瀬古ほど走り込んでないかもしれませんが、彼らが科学に基づくトレーニングをしているとも聞きません。

現在の選手は、月間1,000km走るような練習を古いと考え、自主的に工夫することもなく監督のメニュー通りにやるだけだ、マラソンの練習をやってケガするより正月に駅伝に出ていればいいと思っている、ペースメーカーにしたがって自分でレースをつくらない、アフリカ勢に負けると端から決めているから追わずに「日本人何位」を気にする……など、手厳しいことがいろんな元ランナーの口から発せられます。

何度か名前が出てきた川内優輝選手は、彼らより練習量は劣るかもしれませんが、自分で工夫して泥臭く努力する、ある意味昭和っぽいランナーです。往年の選手の40キロペース走が、彼の場合、レースなのかもしれません。防府読売マラソン、ガンバレ!

登場する7人の歴代日本最高記録保持者のうち、箱根駅伝を走ったのは瀬古(早稲田)と藤田(駒澤)だけ。その2人も学生時代にフルマラソンを経験しています。高岡は龍谷大に進学して中距離を走り、あとの4人は高卒で実業団入りしているから、全員、箱根駅伝至上主義とは違うかもしれません。

われわれ市民ランナーはトップ争いや日本記録更新なんて無縁でしょうが、目標タイムや昨日の自分、特定のライバル(←私にはないけど)と競っています。この本には参考になることも見いだせるはずです。

私の場合、たとえば、

(略)他人がやらないことをしなければいけないと思います。それをやらなければ勝てるはずはない。私の場合は「ケニア人は自転車に乗っていないから俺も歩こう」と思ってずっと歩いていました。それを若い選手に何度言ってもわからないんです。
(第二章 瀬古利彦)

同じチームに5000mを13分26秒78で走ってハーフマラソンも1時間01分36秒の記録を持っていた年下の選手がいて、ポイント練習では太刀打ちできないくらいでした。でも彼は歩く時、腰が落ちた遅い歩きをしていたので、「そこを直さないからマメができて、2時間10分を切られへんのや。歩くときはキチンと歩け」とよくスタッフから注意されていましたし、私もしていました。彼はそれを理解しようとしなかったので(略)結局ベストは3回目のレースで出した2時間10分07秒に留まりました。体力もあるのでつなぎのジョグも練習内容もすごかったのですが、本人はそれで十分だと考えて走っていたのだと思います。
(第五章 犬伏孝行)

などなど。 

私ももう少し工夫して頑張ります。

今日のあれこれ……12月17日の日記。

 某練習会のペースメーカーをやってきました。
 朝、7kmゆるジョグして会場へ。おとといの練習会のダメージが残っていて、かなり不安です。6:30/kmでしか走れなかった昨夜よりは少しマシですけど。
 1,000m(R=400m)× 5本のインターバルで、私は、4:20〜25/kmの組を先導することに。10人以上のグループでしたか。「走れなかったらすみません」と冗談(半分本気)を飛ばしてからスタートしました。
 200mおきに距離表示の看板があるので、そこを52〜53秒で通過すればいいんですけど、00:53の次が01:46で、ええっとその次が……うひゃあ、寝不足で頭が働かない。
 GPSウォッチ・ガーミンのLAPペースを見ながら走りましたが、誤差が生じるのと遅れちゃいかんという気持ちがあるようで、最初の2本は4:15 - 4:15。みなさんすみません。その後は調整して、4:23 - 4:23。ふう、なんとかまとまった。
 ラスト1,000mはフリーでどうぞと言うと、みなさん前に出ます。私はラスト200mだけダッシュして4:09でした。お尻とハムが悲鳴を上げましたが、無事終わりました。ほとんどみんな走れたんじゃないかな。
       ☆
 以下、ハプニングふたつ。
《その1》あったかいので直前にロングパンツを脱いで短パンになりました。しかし短パンの紐がゆるんでいたらしい。スタート直後からずり落ちるんじゃないかとヒヤヒヤしました。1本目が終わったリカバリーできゅっと結んでことなきを得ました。指がかじかむような気温じゃなくてラッキーでした。ファインプレー。
《その2》途中、隣のグラウンドから軟式の野球ボールが飛び込み、私の胸元をかすめました。ハッとして左手で捕ろうとするも、失敗。さいわい誰にも当たらず、ボールは消えていきました。凡プレー。

練習会でレペ……12月15日の日記。

本日、ちょっと時間ができたので練習会へ。帰宅後また仕事ですけどね。T_T

都合によりコーチが1人だけとのことで、みんなまとめてレペでした。

ランナーのみなさんには説明不要ですが、レペはレペティションの略。全力で走って完全休憩して心拍数を戻し、また全力……を繰りかえすトレーニングです。私の場合、本日、全力を振り絞ったかって……? どうか聞かないでくださいまし。

参加者は15人くらいかな。800mのコースを周回します。

設定は、3,000m20分まわし)+ 2,000m15分まわし)+ 1,000m

1キロ5分ペースだとしたら、3,000mと2,000mのあと、それぞれ5分間のインターバルがあるということです。

おとといのジョグで、坂道ふくめ50〜150mのWS(ウインドスプリント)を15本くらい入れ、うち1、2本、胴体を使ったいい感触をつかめました。再現できるかな。

わざと10秒遅れくらいでスタートした私。設定ペースに関してはまったくのノープランです。最初の3,000mを4:15/km、以下4:00/km、最後の1,000mは4:00/km未満でいこうかな、とぼんやり思っていましたが、最初からみんな速いので、こちらもつられました。何人か抜くうちに、4:05/kmで走ると言っていたコーチの背中が見えたので、追いかけます。ラスト400mは息が弾みました。結果、

  • 4:044:004:0212:06

折角なら12分カットしとくんだった。

つぎの2,000mは8:00と目標を定めます。最初より1,000m少ないので気が楽です。

  • 4:003:597:59

計画通りまとまりました。ラスト200mは息が苦しかったけど、「脚ではなく胴体で行け!」と自分に言い聞かせました。

最近、左回りのこのコースを走ると左足のアキレス腱がズーンと痛みます。路面が硬いせいかな。新品のソーティを履いていました。

最後の1,000m。またまた最後尾からスタート。2本やったあとだと、同じペースでも楽になると実感します。少しあげたいけど、4:05/kmペースのコーチの後ろに総勢5人のグループができていて、抜けません。最後の300mで1人抜けだしたら少しバラけたのであわててスパートしましたが、追いつけず。無念。

  • 3:47

ラスト1,000mはやや悔いが残りますが、どれもラストスパートして心肺を追い込んだので、いい練習になった気がします。この設定のレベはだんだん距離が短くなるぶん気持ちがラクになりますね。おもしろいかも。

スピード持久力はわからないけど、スピードは戻ってきました。

アップとダウンふくめて14kmでした。